江橋節郎賞

第19回江橋節郎賞(2025年)

古屋敷 智之 教授(東京科学大学大学院医歯学総合研究科),特命教授(神戸大学大学院医学研究科)
ストレス関連脳病態の生物学的基盤:炎症誘導性神経回路再編

受賞講演:2026年3月第99回年会

第19回江橋節郎賞を受賞して

日薬理誌(Folia Pharmacol. Jpn.)161,131~132(2026)
DOI: https://doi.org/10.1254/fpj.26001

古屋敷 智之
東京科学大学大学院医歯学総合研究科薬理学分野
神戸大学大学院医学研究科薬理学分野(受賞当時)

このたび第19回江橋節郎賞を賜り,推薦ならびに選考にご尽力くださいました諸先生方,関係各位に衷心より御礼申し上げます.江橋節郎先生のご業績を顕彰し,薬理学の発展に資する独創的研究を奨励する本賞の趣旨に照らしますと,その栄誉の重みを深く感じ,身の引き締まる思いでおります.

私は本年度,長年在籍した神戸大学から東京科学大学へ異動し,両大学を兼務しつつ研究室移転の途上にあります.研究環境も生活も大きく動くこの時期に本賞を拝受できましたことは,これまでの歩みを振り返り,次に何を問うべきかを改めて見定めよとの励ましを頂いたものと受け止めております.

江橋先生に直接お目にかかったことはございません.しかし,当時の常識に抗してカルシウムが情報伝達分子として機能することを世界に示し,生命科学の新たな地平を切り拓かれたその学問的胆力と厳密さは,私にとって常に大きな指標でした.発見とは,データの中に潜むかすかな兆しを見逃さず,問いを重ね,そこに残る必然を普遍の知へと鍛え上げていく営みであると思っております.江橋先生の歩みに学びながら,私も自らに問いを課し続けたいと考えております.

私の研究は,京都大学において成宮周先生,尾藤晴彦先生のご指導のもと取り組んだ,Rhoシグナルと神経細胞骨格制御の研究に端を発します.この経験を通じて,分子・細胞レベルの現象や薬理作用が脳機能に意味を持つためには,神経回路動態,さらには情動・認知の情報処理へと接続して理解されなければならないことを痛感いたしました.

この問題意識から研究テーマを転じ,プロスタグランジン受容体欠損マウスを用いた脳機能研究に参画し,鍋島俊隆先生をはじめ多くの先生方との共同研究にも恵まれ,炎症関連分子PGE2がEP1受容体を介してドパミン系を調節し,衝動性の制御に関与することを見出しました.炎症が生理的な脳機能の制御に関与するという視点がなお十分には成熟していなかった時期に,既存の枠組みでは捉えきれない現象が,検証を重ねる中で新たな概念へと形を成していく過程を経験できたことは,忘れ難い学びとなりました.

その後,Michela Gallagher博士の研究室にてシステム脳科学を学び,帰国後は成宮研究室で研究を継続したのち,神戸大学にて研究室を主宰する機会を得ました.以来,個体が環境から受けるストレスが脳機能をいかに変容させ,精神・神経疾患の病態へいかに結びつくのかという問いに向き合ってまいりました.

私どもは,マウスの慢性社会ストレスモデルを基盤に,急性ストレスでは前頭前皮質ドパミン系を介してレジリエンスが増強されること,慢性ストレスでは自然免疫受容体TLR2/4を介したミクログリア活性化や末梢免疫細胞の動員を伴う炎症応答が行動変容に関与することを見出しました.さらに,共同研究者の先生方のご指導のもと,オミクス解析,三次元電子顕微鏡,全脳イメージングや神経活動解析,PETイメージングなどを統合し,分子から回路,さらには個体の行動へ至る連関を多層的に捉えることで,ストレス関連脳病態を規定する炎症誘導性神経回路再編の実態とその機序,臨床応用の可能性にも迫ることができました.また,この間,澤明先生とも親交を深め,精神・神経疾患研究における基礎研究の意義や躍動感を学ぶ機会を得ました.

これらの研究を形にできましたのは,成宮先生から授かった研究者としての姿勢と生き方,尾藤先生から教わった神経科学の基礎と魅力,鍋島先生より学んだ行動薬理学の視点,Gallagher 博士のもとで身につけたシステム脳科学の方法論,澤先生から受けた精神医学研究の薫陶,そして何より日々の苦楽を共にした研究室の教員・学生諸君,事務・技術スタッフの献身があったからです.加えて,他分野や臨床の先生方,企業の皆さまとの学際的・産官学連携が,分子から神経回路へ,基礎から臨床へと橋を架ける原動力となりました.本賞は私個人の栄誉というより,恩師・先達,仲間の努力の結晶を代表して拝受するものと考えております.

また,日本薬理学会は,年会・学術集会などを通じて研究を鍛え,視野を広げる貴重な学術の場を私に与えてくださいました.諸先生方との出会いと議論は本研究の推進にも大きく寄与しております.平素より学会活動を支え,研究者が議論と挑戦に集中できる環境を整えてくださる事務局の皆さまをはじめ,運営に携わる関係各位にも深く感謝申し上げます.

東京科学大学では,基礎研究者としての視座に改めて立ち返り,学術的問いをいっそう鋭く研ぎ澄まし,不要な複雑さを削ぎ落とした単純さを追究することで,普遍的な本質に迫る研究を成し遂げたいと願っております.ストレス後に長期的・進行性に生じる生命現象の連鎖,病態と回復の分岐点の解明,その制御技術の開発を目指し,生命科学・医学に新たな理解をもたらす研究を成し遂げるべく最善を尽くしてまいります.そして,私が学んだものと志を次世代へ確かに手渡していきたく存じます.

最後に,私を育ててくれた両親,お世話になった友人,そして常に支えてくれた妻と娘に,心より感謝したいと思います. これからも江橋節郎賞の名に恥じぬ研究者人生を全うすべく努めてまいります.今後ともご指導ご鞭撻のほど,何卒よろしくお願い申し上げます.

(Tomoyuki Furuyashiki)

公益社団法人日本薬理学会