井上 和秀 教授(九州大学大学院薬学研究院薬理学分野)
ATP受容体の生理機能に関する神経薬理学的研究
受賞講演:2010年3月第83回年会
井上 和秀
九州⼤学⼤学院・薬学研究院・薬理学分野

私はこれまで神経伝達におけるアデノシン3 リン酸(ATP)受容体の⽣理機能を神経薬理学的に研究し てきたが,最近は痛み伝達におけるグリア細胞の役割とATP 受容体の機能を特に興味深く思え,その 研究に集中している.それらの業績が評価され,今回極めて光栄な本賞をいただいた.江橋節郎先⽣は 私が学⽣の頃には既に我が国の碩学であり,雲の上の先⽣であった.留学したロンドン単科⼤学でも著 名⼈であり,FRS のメンバーでもあられた.従って,そのような先⽣のお名前を冠した賞は私には遙か 遠い存在であり,選考審査の俎上に載ることさえ憚られたが,強く推してくださる先⽣の説得をついに 受け⼊れた.その理由は,推薦してくださるレベルに達したとすれば,これはひとえに,これまで私を 信じて研究に協⼒してくださった若い皆さん,そしてその研究を様々な側⾯から⽀えてくださった多く の⽅々のお陰であることに,あらためて気づかされたからである.その⽅々の真摯な研究への努⼒は賞 賛されるに値することは事実であり,いただける可能性があるならば,みんなを代表していただけばい いと考えた.賞をいただけて,まずその⽅々へ深甚の感謝を表したい.さて,アデノシン3 リン酸は細 胞内においてはリン酸基供与体として細胞の⽣命活動には必須の分⼦であることが確⽴されていたこと から,約40 年ほど前にバーンシュトック先⽣により提唱された「細胞外において情報伝達をする」と いうアイデアは常軌を逸したものと受け⽌められた.⻑い苦節の時代を乗り越えて,1993 年のP2Y1 ク ローニング成功を契機として,⼀気にATP 受容体研究がサイエンスとして認知されてきたのである.
ATP 受容体は,ATP をアゴニストとするイオンチャネル型受容体(P2X)ファミリーと,ATP 以外に もUTP などのヌクレオチドをアゴニストとするG タンパク質共役型受容体(P2Y)ファミリーに⼤別 され,それぞれ7 種類(P2X1〜P2X7)および8 種類(P2Y1,P2Y2,P2Y4,P2Y6,P2Y11〜 P2Y14)がこれまでに報告されている.ATP 受容体は,⽣体のどの部位にも何らかのサブタイプが発現 しており,このような「発現の瀰漫性」は他の受容体では⾒られない特徴である.
国⽴衛⽣試験所(現・国⽴医薬品⾷品衛⽣研究所)薬理部にて私がATP 受容体研究を始めたのは⽶国 留学から帰国した翌年1988 年からであった.⽶国から持ち帰ったラット褐⾊細胞腫由来PC12 細胞を ⽤いて,カテコールアミン(CA)放出メカニズムを研究していた私は,偶然に,ATP をPC12 細胞に ふりかけてみた.すると,これまで最⼤の反応を引き起こしていたニコチンの約6 倍も⼤きなCA 放出が引き起こされた.細胞外液の3H ラベルしたCA をシンチレーションカウンターで測定していたが, その数値が異常に⾼かったことに驚き,細胞が破裂したのではないかとさえ思ったものである.中澤憲 ⼀博⼠の協⼒を得て,ATP 刺激により同細胞から巨⼤な内向き電流が惹起されること,その反応には再 現性があることもわかり,細胞は⽣きていて,⽣理的な反応である希望がわいてきた.そうして,ここ から本格的な研究が極めて地味にスタートしたのである.その後,1994 年には,故植⽊昭和⾨下から ⼩泉修⼀博⼠(現・⼭梨⼤学医学部薬理学教授)がグループに加わり,カルシウムイメージングの精密 な技術でATP 研究を発展させてくれた.また,このころからアストロサイトやミクログリアにも研究 対象が広がっていった(国⽴精神神経センター⾼坂新⼀現所⻑のガイダンスによる).痛み研究は, 1995 年2 つのグループがNature に後根神経節(DRG)ニューロンに限局して発現するP2X3 を⾒出し たときからである.⽶国留学から戻った上野伸哉博⼠(現・弘前⼤学医学部教授)が私のラボに参加 し,DRG ニューロンを使ってP2X2,P2X3 に関する電気⽣理の研究を開始した.そして,1998 年,津 ⽥誠博⼠が鈴⽊勉教授の下から私のグループに⼊り,痛みの⾏動薬理学的研究が本格的に開始された.
こうして,1999 年に発⾒された神経障害性疼痛発症モデルの脊髄ミクログリアの異常な活性化とP2X4 過剰発現のデータは,様々な状況がうまく重なり,また様々なトラブルを来⽉には臨⽉で出産という重 本由⾹⾥⽒,また来⽉には卒業してしまう溝腰朗⼈君らのがんばりでなんとか乗り越え,2003 年に Nature 誌上に発表することができた.その後,2005 年,2007 年のNature 論⽂はいずれも⼤変興味深 く,それぞれの研究エピソードは語れば⻑くなる.2005 年より九州⼤学薬学研究院に移り研究を進め てきた.字数が少なくて多くのお世話になった⽅々,すばらしい成果を上げた若き研究協⼒者・学⽣た ちを紹介できなくて残念であるが,最後に,私たちの研究成果を厳しく評価してくださった選考委員会 の先⽣⽅のサイエンティストとしての実にフェアなご姿勢に敬意と感謝の意を表して,締めくくりた い.
(Kazuhide Inoue)
