上田 泰己 教授(東京大学大学院医学系研究科)
哺乳類睡眠・覚醒リズムのシステムレベルの理解
受賞講演:2024年3月第144回近畿部会
日薬理誌(Folia Pharmacol.Jpn.)159,345~348(2024) ©日本薬理学会
DOI: https://doi.org/10.1254/fpj.24059
上田 泰己
東京大学大学院医学系研究科
理化学研究所生命機能科学研究センター
久留米大学分子生命科学研究所

今回,東京大学医学部の偉大な先達である江橋節郎先生のお名前を冠した賞を受賞することができ,大変光栄に思います.
この場をお借りして,私たちの研究「睡眠恒常性におけるカルシウムとカルシウム依存的リン酸化の役割」に関する研究が どのような経緯で進展してきたのかをお話しさせていただきたいと思います.
2012 年,ボストンで開催された国際会議「Sleep 2012」において,私たちの研究は重要な転機を迎えました.睡眠の基礎 研究では,20 世紀初頭の石森國臣博士や,ルジャンドルとピエロンの研究に始まり,早石修博士らを含む多くの研究者に よって長年にわたり「睡眠物質」の探索が続けられてきました.しかし,その後に開発された「睡眠物質」に関連する受容 体や酵素,リガンドなどのノックアウトマウスでは,睡眠への影響がほとんど見られないことが明らかになっていました.
この国際会議の期間中に,私たちは「睡眠恒常性」を説明するために,必ずしも「睡眠物質」の存在が必要ではなく,むし ろ「覚醒物質」とその履歴を積分する機構があれば,睡眠恒常性のメカニズムを十分に説明できるのではないかと着想しま した.この考えが私たちの研究の方向性を大きく転換させ,覚醒に関連する物質,特にカルシウムが睡眠恒常性の鍵となる 可能性を探る研究へと進展しました.
江橋節郎名誉教授は,カルシウムが情報伝達分子であることを世界で初めて証明しましたが,その後,神経細胞において も,細胞が興奮するとカルシウムが細胞内に流入し,陽イオンとしての働くだけではなく,情報分子としても働き,神経伝 達において重要な役割を果たすことが広く認識されています.カルシウムという陽イオンが神経細胞内に流入することで, 神経細胞は興奮状態に入り,覚醒が維持されます.しかし,私たちはその一方で,カルシウムが情報伝達物質として間接的 に睡眠を促進する可能性があると考えました.この着想が私たちの研究を新たな方向へと導いたのです.
カルシウムの逆説的な役割に関する仮説を追求する中で,カルシウムが覚醒物質でありながら,同時に眠気の生成にも関 与しているのではないかという仮説を検証するためには,カルシウムの出入りに関わる遺伝子を一つずつノックアウトした 動物モデルを作成し,その睡眠に関する表現型を測定する必要がありました.そこで私たちは,カルシウムの細胞内外の移 動に関与する25 の遺伝子をターゲットとしたノックアウト実験を計画しました.しかし,この計画を実現するためには, 従来の技術を超える新たな技術の開発が必要でした.
睡眠研究を開始した2010 年頃,交配を行わずにノックアウトマウスやノックインマウスを作成できる「次世代遺伝学」 のアイデアを着想し,その実現には2012 年に登場したCRISPR-Cas9 技術を応用しました.この技術を「トリプルクリス パー法」として具体化し,2016 年にその成果を報告しました(Sunagawa et al., Cell Reports 2016).この方法では,誕生し たマウスの95%以上がノックアウトマウスとなるという技術的革新を達成し,これにより,カルシウムが睡眠を促進する役 割を果たすことを明らかにしました(Tatsuki et al., Neuron 2016).
カルシウムが睡眠促進に関与するという仮説をさらに深めるため,2010 年頃より開発を進めてきた組織透明化を用いた 全細胞解析技術(Susaki et al., Cell 2014; Tainaka et al., Cell 2014)を活用して研究を行いました.カルシウムは陽イオンで あり,神経細胞内に流入すると興奮を促進する「アクセル」として理解されてきました.しかし,私たちがノックアウトマ ウスを用いた研究において得られた結果は,カルシウムが逆に神経細胞の興奮性を抑制する「ブレーキ」として機能する可 能性を示唆していました.この仮説を検証するために,全脳透明化技術を用いて全細胞レベルで神経細胞を観察し,カルシ ウムが神経細胞の興奮性を抑制する上で重要な役割を果たしていることを明らかにしました(Tatsuki et al., Neuron 2016).
神経細胞におけるカルシウムの動態は,ミリ秒から秒のオーダーで非常に速く変化します.そのため,眠気のように分か ら時間単位で進行する遅い動態を説明するには,カルシウムの下流でその履歴を積分する仕組みが不可欠です.そこで私た ちは,カルシウム依存性キナーゼⅡ(CaMKII)ファミリーに注目しました.4 種類のCaMKII メンバー全てをノックアウト したマウスを作成した結果,CaMKIIα およびCaMKIIβ の2 種類の遺伝子が睡眠を促進する役割を持つことが判明しました (Tatsuki et al., Neuron 2016).この酵素は記憶や学習の分野でよく研究されており,カルシウムの履歴を積分するための最 適な性質を持っています.
私たちは,CaMKIIα とCaMKIIβ それぞれについて,全てのセリンおよびスレオニン残基にリン酸化を模した変異を一つ一つ 導入し,睡眠促進に重要なリン酸化サイトを特定しました.特に,自己リン酸化サイトとして知られるCaMKIIα のThr286 と CaMKIIβ のThr287 のリン酸化が睡眠を誘導することが明らかになりました.興味深いことに,これらのリン酸化サイトに変異 を導入した上で,さらに他のリン酸化サイトを探索したところ,CaMKII には睡眠を誘導するスイッチに加えて,睡眠を維持す る第2 のスイッチや,緊急時に睡眠をキャンセルする第3 のSOS スイッチが存在することも判明しました(Tone et al., PLOS Biology 2022).さらに,このSOS スイッチの発見により,睡眠を抑制するリン酸化酵素の存在も示唆されました.実際に, ショウジョウバエで覚醒を促進する役割を持つリン酸化酵素PKA が,哺乳類では睡眠の量と質を抑制することが分かりました (Wang et al., Nature accepted).加えて,PKA に拮抗する脱リン酸化酵素であるカルシニューリンやPP1 が,興奮性神経細胞の ポストシナプスにおいて睡眠の質と量を促進する役割を果たすことも明らかにしました(Wang et al., Nature accepted).
これらの発見は,カルシウムとその下流の酵素群であるCaMKII やカルシニューリンが,睡眠制御において精緻な役割を 果たしていることを示しています.特に注目すべき点は,記憶や学習の文脈では拮抗的に作用するCaMKII とカルシニュー リンが,睡眠の文脈では協調的に働いているように見えることです.カルシウムシグナルに応答して眠気を制御するこの精 緻なメカニズムの全容解明は,今後の重要な課題です.特に,眠気の積分機構は可逆的であり,これらの酵素がどのように 覚醒の履歴を積分しているかを詳細に解明していく必要があります.また,睡眠の質は0.5^Hz から4^Hz のゆっくりとした 脳波のパワー(デルタパワー)に表現されることがこれまでに明らかになっていますが,まだその制御機構は不明です.こ れらのカルシウムに制御される酵素の下流で睡眠の質を表すデルタパワーを制御する仕組みについても,さらなる研究が求 められています.
その後,CRE マウスを用いた解析により,睡眠を促進するCaMKII が特に大脳皮質で睡眠の質を制御していることが明らかになってきました.そこで,胎仔の大脳皮質から分離した神経細胞を培養し,細胞外カルシウムの濃度を変えて神経細胞 の発火パターンを調べました.その結果,低カルシウム濃度では覚醒時のような非同期的な発火パターンが見られ,カルシウム濃度を徐々に上げていくとNREM 睡眠時のような同期した発火パターンが観察されることが分かりました.
さらに詳細なデータ解析を行ったところ,覚醒様の発火パターンの方が睡眠様の発火パターンに比べて平均発火頻度は高 い一方で,100 ミリ秒という短時間での最大発火頻度に注目すると,睡眠様の発火パターンの方が覚醒様の発火パターンに 比べて高いことが判明しました.この特徴は生体内でも確認されており,NREM 睡眠時の大脳皮質の神経細胞の最大発火頻 度は,Quiet Wake 時よりも高いことが示されています.つまり,睡眠は単なる非活動的な休息ではなく,高度に活動的なプ ロセスである可能性が示唆されます.
この仮説を検証するために,計算機を用いた仮想実験を行い,ヘブ則やSTDP 則を基にして,覚醒時の非同期的な発火パ ターンとNREM 睡眠時の同期した発火パターンのどちらがLTP(長期増強)を引き起こしやすいかを検討しました.その結果,NREM 睡眠時の発火パターンがより効率的にシナプスを強化することが示唆されました.この結果は,長く信じられて きたSHY(Synaptic Homeostasis)仮説とは真逆であるため,私たちはこの仮説をWISE(Wake Inhibition Sleep Enhancement) と名付けました(Kinoshita et al., submitted).ヘブ則やSTDP 則では発火が全く起こらない場合,シナプス強度は変わらない ため,平均発火数は意味を持ちません.むしろ,最大発火数がLTP には重要であり,このことからWISE 機構は自然な帰結 と考えられます.
もしWISE 機構が成り立つとすれば,覚醒時にはシナプス強度が直感に反して下がり,NREM 睡眠時にシナプス強度が上 がることになります.また,覚醒時にLTD(長期抑圧)が起こった後に睡眠が生じるため,LTD に関わる分子が睡眠を促進 することが予想されます.前述したカルシニューリンの睡眠促進作用の発見(Wang et al., Nature accepted)は,このWISE 機構を強く支持するものです.また,SHY 仮説では説明が難しい冬眠時のシナプス強度低下とその回復時に見られるデルタ パワーの強い増強も,WISE 機構で無理なく説明できます.
さらに,WISE 機構は,長期にわたる覚醒が続くとシナプス強度が低下することを予測し,鬱病の病態としてのシナプス 強度の低下を示唆します.そして,ケタミンや5-MeO-DMT など,即効性の抗鬱作用を持つ薬剤が共通して持つ作用機序と して,デルタパワーの上昇やシナプス強度の増強が予測されます.これらの予測は今後実験によって確かめられる必要があ りますが,私たちの研究室ではすでにこれらの予測と一致する結果を得つつあります.
余談ではありますが,これら一連の研究を進める中で,私自身の研究歴を振り返ると,結果的にカルシウム研究へと回帰 したことに気づかされました.私は,大学院生として江橋節郎先生のカルシウム研究の潮流を受け継ぐ東京大学医学部薬理 学教室に入った際,恩師の飯野正光名誉教授に対して「カルシウム研究は行いません」と生意気にも宣言していたことがあ ります.その時,飯野先生は穏やかに笑っておられましたが,その後の研究を通じて,カルシウムが眠気の仕組みにおいて 非常に重要な分子であることが明らかになり,結果的に私はカルシウム研究に戻ってきたことになります.
飯野先生は「必ずカルシウムの研究に帰ってくる」と予見していたそうであり,その慧眼と寛容さに,PI として20 年の 年月を重ねた今,改めて驚かされています.思えば,私は20 年以上に渡り,仏のような飯野先生の掌の上で研究遍歴を重 ねてきただけに過ぎなかったのです.飯野先生が与えてくださった広大な自由度と多大な支援に,心から感謝しています.
また,東京大学医学部の学生時代に,アセチルコリン受容体やNMDA 受容体の重要な遺伝子を単離された三品昌美名誉教 授から,直接その詳細な分子機構を教えていただけたことも,私にとって大変幸運でした.おかげで「睡眠物質」が存在し ないと仮定したとき,覚醒物質であるカルシウムの逆説的な役割に自然と辿り着くことができました.さらに,三品先生の 後任として東京大学医学部の薬理学教室に赴任した後も,三品先生から様々なご支援をいただき,今回の発見へと至る基盤 を築くことができました.ここに改めて感謝申し上げます.
加えて,学部生の時にソニー・コンピュータサイエンス研究所で北野宏明先生の下で研究させていただき,計算機を用い た生命科学研究を教えていただいたことにも感謝しています.覚醒物質の積分機構を考案し,カルシウムの役割に辿り着く までには,コンピューターシミュレーションが重要な役割を果たしました(Tatsuki et al., Neuron 2016).北野先生のご指導 のおかげで,理論的な指針を得ることができ,自信を持ってカルシウムの逆説的な役割を実験的に確かめる研究へと進むこ とができました.また,ここでは全ての先生方をあげきることはできませんが,他にも様々な恩師の先生方にお世話になり ました.
最後に,東京大学医学部のシステムズ薬理学教室,理研のシステムズバイオロジー研究チーム,合成生物学研究チームで 共に研究を行ってくれた全てのパートタイマー,テクニカルスタッフ,大学院生,研究員,スタッフ,ならびに本研究を長 期にわたって支えてくださったJST,JSPS,AMED をはじめとするグラントエージェンシー,東大,理研,久留米大学に深 く感謝したいと思います.特に,2010 年頃に,分子と細胞の間を行き来する概日時計研究から離れ,分子・細胞と個体の間 をつなぐ睡眠研究に取り組み始めた際,研究室のメンバーを随分と不安にさせてしまったかもしれません.しかし,哺乳類 がショウジョウバエよりも複雑であるなら,その仕組みを解明する哺乳類遺伝学はショウジョウバエ遺伝学よりも効率的で なければならない(Ueda et al., Cell 2024)という私の我儘に辛抱強く付き合ってくれた彼らの献身的な貢献なしには,今回 の発見は成し得なかったでしょう.ここに深く感謝申し上げます.
(Hiroki Ueda)