江橋節郎賞

第9回江橋節郎賞(2015年)

森  泰生 教授(京都大学大学院 地球環境学堂及び工学研究科)
Ca2+チャネルの分子実体の同定とそれを基盤とする薬理・生理学的探究

受賞講演:2016年3月 第89回年会

第9 回江橋節郎賞を受賞して

森 泰⽣

京都⼤学⼤学院 地球環境学堂・⼯学研究科

この度は,江橋節郎賞受賞の栄誉を賜り真に光栄に存じます.私のようにCa2+チャネル分野に⾝を置き,ま た,江橋節郎先⽣の⼈間的魅⼒に触れる機会を得た者にとっては,本賞の受賞はこの上のない名誉なことであ り感激に堪えません.

⽣体膜越えの無機イオンの移動は⽣命現象の最重要基盤の⼀つです.特に,Ca2+は唯⼀の無機イオンセカンド メッセンジャーであり,Ca2+透過チャネルが担う細胞へのCa2+流⼊は薬理・⽣理学の中⼼課題です.1980 年 代は,個体・組織・器官・細胞を対象に発展を遂げた薬理・⽣理学が⽣化学・分⼦⽣物学と融合し,Ca2+チャ ネルのみならず多くのイオンチャネルや受容体の分⼦実体の同定と精密な機能解析が達成された時代です.選 択的に作⽤する薬剤がこの過程で,イオンチャネル・受容体の機能解析と⽣化学的精製に,決定的な役割を果 たしたことは記述するまでもありません.私が薫陶を受けた沼正作研究室は,当時,まさに薬理・⽣理学と⽣ 化学・分⼦⽣物学との融合分野の中⼼を担っていました.ところが,1990 年代に⼊ると,それまでとは逆のベ クトルの研究が顕在化してくることになります.つまり,イオンチャネル・受容体において⾒出したユニーク な分⼦機能特性に基づいて,細胞応答や組織・器官機能を発⾒,再評価し,新たな個体レベルの恒常性維持機 構を明らかにする研究が勃興してきたのです.そして,このベクトルの研究はゲノム時代の到来とともにさら に重みを増しています.

そういった時代背景のもとで,私は電位依存性Ca2+チャネルのポア形成α1 サブユニット(CaV タンパク質) に焦点を当てた研究を開始し,旧来のL,N,T 型分類から逸脱した性質を⽰すCa2+チャネルが,CaV2.1 タン パク質により形成されることを⽰しました.後にP/Q 型と呼称されるようになったこのCa2+チャネルは,中 枢神経系の神経伝達物質放出における中⼼的役割を担い,CaV2.1 遺伝⼦は脊髄⼩脳変性症6 型,家族性⽚頭痛 等の家族性神経疾患の原因遺伝⼦であることが明らかにされています.即ち,CaV2.1 が軸となって,薬理学・ 毒物学,神経⽣理学,疾病遺伝学など異分野に散逸していた知⾒が,統⼀的に理解可能になったと⾔えます.

⼀⽅,私はCa2+チャネル副サブユニットの⼀つであるβ サブユニットが,膜表⾯への発現や局在化を制御す ることを⽰しました.前シナプスの局所構造アクティブゾーンにおいて,このβ サブユニットはシナプス⼩胞 をCa2+チャネルに物理的に連結し,電気的活動と神経伝達物質放出とを連関させるという重要な役割も担います.

ユニークな新規機能を⽰すイオンチャネルという点においては,transient receptor potential(TRP)タンパク 質群が形成するカチオンチャネルが突出しています.私たちは,細胞内酸化還元状態,或いは活性酸素種・窒 素種を感知し開⼝するTRP チャネルなど,各々がユニークなセンシング能⼒を⽰すTRP 群を⾒出しました.

この研究は,各TRP チャネルが形成するチャネルソーム(channelsome)と,それらが制御する新たなCa2+シ グナル経路と⽣理的意義の解明に発展しています.マクロファージにおいては,過酸化⽔素によりNAD+ /ADP リボースを介して活性化開⼝したTRPM2 がCa2+を流⼊させ,Ca2+依存的なMAP キナーゼ/NF-κB の 活性化によりケモカイン産⽣と好中球浸潤を誘導します.最近では,迷⾛神経のTRPA1 チャネルが環境中の分 ⼦状酸素レベルを感知し,呼吸機能の酸素適応を調節する機構を⾒出すことができました.これは,迷⾛神経 の酸素受容性の再発⾒であり,これまでの頸動脈⼩体を中⼼的な(或いは唯⼀無⼆の)酸素受容器と⾒なす⽣ 体適応のドグマに⼀⽯を投じる恒常性機構に結びつきます.

今後は,新たに⾒出したユニークな分⼦機能特性に基づいた,新たな細胞応答,組織・器官機能,そして⽣体 恒常性維持機構を明らかにするベクトルの研究を強⼒に推進していこうと考えています.この点において, TRP チャネル分野は研究の種の宝庫です.例えば,TRPA1 を含むレドックス活性種感受性TRP チャネルは体 内に遍在しており,それらがどのように体内の酸素レベルの感知と調節に寄与するかを調べることは,新たな 酸素受容器官の発⾒のみならず,⽣体内酸素環境の設定機構とその意義の研究に発展できるでしょう.また, 温度センサーTRP チャネル群は,体表⾯の感覚神経以外の体深部にも発現しており,それらがどのように⽣体 内の温度の感知と熱産⽣を調節するかを知ることは,新たな温度感知器官,⽣体内エネルギー代謝の制御機構 とその意義等の研究につながります.これら新たな視点からのTRP サブタイプ選択的な作⽤化合物の開発は, 薬理学・⽣理学・⽣化学における強⼒な解析のツールを提供し,究極的には医薬品開発におけるリード化合物 につながる可能性が期待できます.

私の研究は,先⼈の優れた研究の蓄積の上に成り⽴つものです.特に,江橋先⽣の拓かれたイオンシグナル研 究の帰結として,⾃然に導かれたと⾔っても過⾔ではありません.また,得られた成果は指導いただいた先⽣ ⽅の薫陶の賜物であり,共に苦労した共同研究者なくしては決して達成しえなかったものです.皆様には⼼か らの御礼を申し上げたいと思います.

(Yasuo Mori)

公益社団法人日本薬理学会