池谷 裕二 教授(東京大学大学院薬学系研究科)
脳回路機能の可塑性と病態に関する研究
受賞講演:2017年3月第90回年会
池⾕ 裕⼆
東京⼤学⼤学院薬学系研究科薬品作⽤学教室

この度,節⽬となる第10 回江橋節郎賞の栄誉を賜り,⼤変光栄に存じます.本賞にふさわしい諸先輩⽅が多く おられる中で,私が受賞してよいものかと未だに困惑する気持ちもございますが,これもまた今後の躍進を期 待しての激励だと解釈し,さらに研究に邁進してゆきたいとの決意を新たにしております.
江橋節郎先⽣がなされた偉⼤な研究と,私の研究テーマの共通点を,僭越ながら敢えて探しますと「カルシウ ムイオン」がキーワードとして浮かびます.とはいえ,その扱いはすっかり異なります.私はカルシウムイオ ンを細胞内シグナルの枠組みで捉えることは少なく,むしろ「細胞がカルシウムイオンを利⽤している」こと を利⽤して,その細胞がコードする情報を解読することに主眼を置いています.具体的には,神経細胞の活動 電位(発⽕)に伴って細胞内カルシウムイオン濃度が上昇することを利⽤して,これを光学画像法で捉えるこ とによって,同時に沢⼭の神経細胞から発⽕を計測するというものです.この計測⽅法を開発改良してきた私 は,2006 年に同⼿法を「多ニューロンカルシウム画像法」と名付けました.2006 年は奇しくも江橋先⽣が亡く なられた年でもあります.
私は,学⽣時代より⼀貫して脳回路の機能について研究してきました.ただし詳細な研究対象については,正 直に申し上げて,とても「⼀貫している」とは⾔えず,そのときの興味にまかせて,⼀点⼀点掘り下げては, また次の興味に移るというやり⽅で⽐較的⾃由に研究を展開してきました.結果として,今から振り返れば, 私の研究対象は可塑性の⽣理機能から病態機構まで幅広い分野をカバーしている(してしまった?
)ように思 います.その中でも,とくに今回の受賞の対象となった私の研究について,以下に簡単に紹介いたします.
私が研究対象としてきた疾患は主として,てんかん,うつ病,脳虚⾎です.当然ながら,こうした疾患に関与 する海⾺や⼤脳⽪質が,私の主要な研究対象です.とくに海⾺は,⽐較的発達が遅く,齧⻭⽬では亜領域であ る⻭状回はほぼ未形成のまま⽣まれてきます.このため脳回路発達を観察できる優れたモデル系となります.
⻭状回の神経細胞がどのように軸索を伸ばし,どのように標的を適切に選定するかを経時観察できる実験系を ⽴ち上げ,cAMP やカルシウムイオン,Sema3F,BDNF,GABA など,神経回路形成の分⼦細胞メカニズムを 同定しました.とくに,BDNF とGABA の異常シグナルは,⻭状回において軸索の異所性回路を引き起こし, 成⻑後のてんかんの危険因⼦となることを⾒出しました.この異常プロセスは利尿薬ブメタニドによって阻害されることも突き⽌めました.この発⾒は欧⽶でも⾼く評価され,すでに臨床での確認試験も開始されてお り,ドラッグリポジショニングの好例として紹介されました.
先で述べた「多ニューロンカルシウム画像法」については,とくに光学系と撮影条件を⼯夫することで,⾼速 かつ⼤規模化し,同時に多数の神経細胞から発⽕活動をライブモニタすることに成功しました.撮影コマ速度 2,000 枚/秒,同時記録細胞数10,669 個は,現在でも世界記録です.こうした⼤規模記録法には,単に独⾃の 実験技能を有するだけでなく,網羅的な数理解析が要求されます.⽬的に応じてユニークな統計⼿法を編み出 すことで,幾つかの発⾒をしました.ここでは次の五つを挙げます.i)神経回路活動は定型的な時空パターン (繰り返し配列,中間安定性,ブーリアン演算など)を含有していることを⾒出し,論理的に予⾔されていた セルアセンブリーや同期発⽕鎖の存在を実験的に証明しました.ii)神経回路のシナプス結合パターンを同定す るマッピング法を確⽴し,同期機能が回路構造パターンと密接な関係を持つことを⾒出しました.iii)記憶に 関与する神経細胞をin vitro で光学同定することにより,興奮抑制バランスの瞬時的な崩壊が記憶再⽣を引き起 こすことを⾒出しました,iv)軸索からの直接記録に成功し,活動電位が伝導中に波形変位を⽰すことを⾒出し ました,v)多数の樹状突起スパインの活動を同時記録し,神経回路網がμm レベルの機能精度で編まれている ことを⾒出しました.また,同じカルシウム画像法の光学システムを別の実験系に応⽤し,神経回路の発達過 程のみに⽣じるユニークなカルシウム波や,虚⾎時に⽣じるグリア細胞のカルシウム振動などを世界に先駆け て発⾒することもできました.
最後になりましたが,私のこれまでの研究は,本賞にご推挙くださいました飯野正光先⽣をはじめとした多く の共同研究者,ならびに研究室の前教授の松⽊則夫名誉教授およびメンバーによって⽀えられてきました.こ の場を借りて御礼を申し上げますとともに,今後も⽇本の薬理学研究の発展に貢献できるよう精進して参るこ とを誓いたいと思います.
(Yuji Ikegaya)
