林 康紀 教授(京都大学大学院医学研究科)
海馬シナプス可塑性の分子機構
受賞講演:2022年3月第95回年会
日薬理誌 157,209(2022) ©日本薬理学会
林 康紀
京都大学大学院 医学研究科 システム神経薬理学分野

この度,第15 回江橋節郎賞を受賞し,推薦,選考の労をお取りくださった先生方に感謝すると共に,これまでの錚々た る受賞者先生方の末席に加わり,身が引き締まる思いです.私のこれまでの研究は,一過性のカルシウムシグナルがいかに 長期的なシナプス伝達効率の変化に結びつくかというもので,江橋先生の一連のカルシウムイオンに関するご発見がなけれ ば,なし得ないものでした.
私が薬理学を志したのは全くの偶然でした.右も左も分からない医学生の頃,基礎研究に触れてみたく,ゼミの先輩で あった田代啓先生(現京都府立医大教授)にご相談したところ,ご紹介いただいたのが,当時京都大学医学部薬理学教室の 三輪聡一先生(当時助手,後北海道大学教授,現豊岡公立病院院長)でした.そのまま大学院に進むことになり,退官間際 の藤原元始先生にご挨拶に伺ったところ,顔をくしゃくしゃにして喜んでくださったのをよく覚えております.大学院では 中西重忠先生(当時教授,現サントリー生物有機化学研究所所長),成宮周先生(当時教授,現メディカルイノベーションセ ンター長)のご指導を受け「副嗅球シナプス伝達における代謝活性型グルタミン酸受容体,mGluR2 の役割」というテーマ で研究を行い,当時同定されたばかりのmGluR サブグループ特異的な作用薬を同定し,それを用いて生体でサブグループに 特異的な機能解析を行いました.これにあたっては,高橋智幸先生(当時生理学教室講師,現OIST 教授),大船泰史先生 (サントリー生物有機化学研究所,後大阪市立大学教授),島本啓子先生(サントリー生物有機化学研究所)に大変お世話に なりました.その業績で1998 年には日本薬理学会から学術奨励賞をいただき,京都での第67 回年会(会頭:栗山欣彌先 生)で発表の機会をいただきました.その24 年後に江橋節郎賞を頂くこととなり,あらためて私を育ててくれた日本薬理 学会には深く感謝を申し上げます.
大学院卒業後は,Cold Spring Harbor 研究所,マサチューセッツ工科大学,理化学研究所での研究生活を経て,母校,京 都大学医学部の薬理学教室に戻ってきました.大学院以来一貫してグルタミン酸性シナプス伝達の機能とその可塑性の分子 機構に興味を持ってきました.私は特にグルタミン酸受容体がシナプス可塑性,中でも海馬長期増強現象(LTP)に伴い,い かなる変化を受けるかに興味を持ってきました.私は,LTP の誘導に伴い,AMPA 型グルタミン酸受容体がシナプスへ移行 すること,またアクチンが急速に重合しシナプスを拡大させることを見出してきました.ここに深く関わるのが,カルシウ ムイオンです.LTP 誘導に伴いシナプス局所でカルシウムが上昇するのは,ほんの数秒に過ぎません.ところが,それが数 十分から数時間にわたるシナプス伝達の向上を引き起こします.これがどのような分子メカニズムによって引き起こされて いるのかということが,LTP の発見爾来の疑問となっています.
グルタミン酸性シナプスに存在するタンパク質は生化学的解析や質量分析などから多数がわかっていますが,その中で も,旭川医科大学生化学教室の藤澤仁先生,山内卓先生(後徳島大学教授)らがトリプトファン水酸化酵素の活性化因子と して発見されたカルシウム/カルモジュリンタンパク質キナーゼⅡ(CaMKII)は,一度活性化されると自己リン酸化によっ てその活性状態を維持することができることから記憶分子との役割が考えられてきました.しかし,CaMKII はリン酸化酵 素としてはあまりにも多量に存在すること,またキナーゼ活性には必要ないと考えられる回転対称12 量体構造を形成することから,何かその他の機能があるのではないかと考えら
れてきました.我々は,CaMKII の形状や,基質分子と安定 した複合体を作る性質などから,液-液相分離を起こすの ではないかと考えました.液-液相分離とは特定のタンパ ク質や核酸が水の中の油滴のように自発的に集合する現象 で最近注目されています.我々は実際にこれを実証するこ とに成功し,CaMKII は基質分子とカルシウム依存的に 液-液相分離を起こすことを実証し,それによりシナプス 後部にタンパク質を集積させると考えています.AMPA 型 グルタミン酸受容体は間接的にこの機能によりシナプスに 集積したものと考えられます.
グルタミン酸性シナプス伝達は中枢神経系で,電気回路 で言えば電線に相当する重要なものですが,創薬標的とし て成功しているものは多くありません.私が医学部の学生 だった1980 年代に笹征史先生(当時助教授,後広島大学 教授)が講義でグルタミン酸受容体に関して良い薬物がな いとおっしゃっておりましたが,現在もさほど状況は変 わっておりません.しかし,おそらく各種の神経伝達物質の中で,調節機構が最もよく研究されている伝達物質であるかと 思います.そのため創薬標的としての可能性は無限にあると思っています.
最後に私事になりますが,この受賞の方を今年で88 歳になる父が聞いて大変喜んでくれました.父は整形外科医ですが, 同門の高名な江橋先生のお名前は当然存じ上げており,息子がそのお名前を冠した賞を受賞したことは驚きであったようで す.私としても良い親孝行ができたと思っております.
本賞の対象となった仕事は研究を始めて以来,多数の指導者や共同研究者の方々と行ったものです.ここではお名前を挙 げることはできませんが,深く感謝申し上げます.
(Yasunori Hayashi)
