議論・異論・反論

マイナスイオン商品に関する薬理学的視点からの問題提議(投稿者:学術評議員 堀井大治郎) 2003年8月28日

緒言
 マイナスイオンを発生するという商品は1999年マスメデイアに取り上げられてから、一躍ブーム(1)となり、大手家電メーカーも参入し、空気清浄器から、空調機、パソコン、ドライヤー、洗濯機、扇風機、と次々と種類が増えると同時に、家電品以外にもひろがり、マスク、包帯、寝具、ついには自動車までに至った。更に、空気イオンから、香水、化粧品、飲料水のような液体イオンまで拡大(2)してきた。およそ人間と接するものならば、どの商品にもマイナスイオンの付加価値をつけようとする風潮が生まれた。
 しかし、それら商品に共通している説明は、滝の周辺や森などマイナスイオンが多いところでは爽快な気分になり、この効果はノーベル物理学賞を受賞したレナード博士に因んでレナード効果(3)と称すること。一方、都会や工場ではプラスイオンが多いため不快な気分になる。更に悪玉として、酸性物質、活性酸素、ハウスダスト、放射線、をあげ、マイナスイオンを根拠も示さずに空気のビタミンと称し、悪玉に拮抗し、快適な環境に変えると主張する。プラスイオンとマイナスイオンの正体は質量分析計を用いれば定量可能なのに未だにウイルス不活化試験例などの一部例でしか報告されていない。水を分解して、マイナスイオンが生ずるならば必ず電子を失った方の物質はプラスイオンとなるのにプラスイオンが生成したという記述もない。科学的な根拠が示されないため、専門家との対話もないままスローガンが一人歩きし、マスメデイアを動かし、次々と新商品が開発される現状は、アマチュア考古学者による石器捏造事件が発覚する前の異常なブームに酷似しているような気がする。
 薬理学者は有効性や副作用の問題について日常的に取り組んでいることから、こういう未科学で、あまり専門性もない分野での評価にも向いているのではないかと考え、この謎と不誠実さに満ちたマイナスイオン商品について、総括し、問題点を列記すると同時に今後検討すべき課題を提示した。会員の皆様からの忌憚ないご意見を賜りたい。

マイナスイオン効果を謳う商品の分類とそれぞれの問題点について
 空気中の水分子が壊れた時、電子を受け取った分子(または原子)、即ちnegative ion(学術用語としては陰または負イオンが正しく、マイナスイオンとは一部の人が称している俗称ですが議論の必要上使っています)と電子を与えた分子は電子不足からpositive ionとなる。このマイナスイオンを発生する商品は空気マイナスイオンと液体の陰イオン(アニオン)にニ大別されます。液体系については空気系マイナスイオンと異なっていることと、個々の商品ごとに性質も異なっていると思われ、総論的には述べられないので、割愛する。次に空気マイナスイオンを発生方法により分類し、各々の問題点などについて記す。

1. 高圧電気によるコロナ放電によりマイナスイオンを発生させる。
 高圧電気をかけるとコロナ放電が起こり、空気中に存在する水分子は壊れ、マイナスイオンとプラスイオンになる。従って、生成したマイナスイオンだけを述べても片手落ちで、同時に発生したプラスイオンとの関係を調べる必要がある。例えば、非常に狭い空間にplasma ionsを閉じ込めたならば、発生したプラスとマイナス電荷は等しいことから、電荷の総和はゼロになり効果は何も期待できない。広い空間ではマイナスイオンとプラスイオンの不均一な分布から、人間の呼吸域におけるマイナスイオンが多いことはありえる。しかし、不対電子として存在するマイナスイオンは容易にプラスイオンと中和することから消失が早いと考えられる。従って、単に発生器近くのマイナスイオン量を示しただけではほとんど意味がなく、同時にプラスイオンも測定し、時間的、空間的関係を明かにする必要がある。化学と工業の8月号にプラズマイオンによる空気中ウイルスの不活化に関し、西川ら(4)の報告があったのでその要点を次に記す。<今まで、信頼すべき基礎データーがほとんどなく、レナード効果という、111年も前のデーターを根拠にする未科学状態だったので、今回の報告はマイナスイオン効果の裏付けを目的としたものではなかったが、参考資料として貴重であった。> 従来マイナスイオンメーカーから報告されてこなかったプラスイオンの生成も確認され、しかも質量分析により両イオンの正体が明かにされた。マイナスイオンは酸素分子イオンO2-が生成されて、その周りに水分子が配位した構造を持つO2- (H2O)n(nは0または自然数)、プラスイオンは水素イオンが生成されて、その周りに水分子が配位した構造を持つH+ (H2O)m(mは自然数)であった。マイナスイオンの正体が水分子の配位したO2-であることは、従来の主張のような電子による還元作用だけでなく、逆にオゾン様な活性酸化作用を無視できなくなっと思われる。なお、西川らの会社の製品ではマイナスイオン(レナード)効果でなくて除菌効果を強調している。同じコロナ放電原理によりイオンを生成させながら効果が全く違うので他社製品についても科学的に詰める必要があろう。
 なお、マイナスイオン量とオゾン量を比較すると後者がはるかに多いようなので、電気的中和過程は迅速であるのに、物質面では元の水にもどるのが遅いようであるので、物質の動態について定量的につめる必要がある。しかし、中間段階で起こる反応は迅速なので把握に時間がかかるかも知れない。生成したオゾンの定量は容易で、しかも強力な酸化作用を有することから、少なくともオゾン量は常に把握しておく必要がある。
 アメリカのEPA(5)、肺学会(6) 国立アレルギー感染症研究所(7)、カナダ衛生局(8)などではozone generator (ion generator)の有効性に疑問を呈し、細菌やハウスダストの除去にはヘパフィルターの使用を奨めている。副作用として、喘息患者は特にオゾンに鋭敏なことから空気清浄器という名前のオゾン生成器の使用を控えるように警告している。

2. 水破砕によりマイナスイオンを生成させる
 滝周辺でマイナスイオンが多く気分爽快であったことを1892年レナードが報告したことからレナード効果といわれるようになった。これは衝突により水分子が壊れマイナスイオンとプラスイオンができる。コロナ放電時と同様に、質量分析により組成を明かにし、両イオンとオゾンの空間的、時間的な分布も測定すべきだ。
 なお、湿度が高いことが想定されるので、効果判定に際しては加湿効果とマイナスイオン効果を区別して判定する必要がある。副作用として、この種の製品ではレジオネラ菌の繁殖により思わぬ被害が発生することもあり得るので細菌繁殖に留意する必要があろう。


3. 放射線放出鉱石や紫外線などによりマイナスイオン生成する。
 自然界では宇宙線などにより絶えず少量のイオンが生成しており、これはバックグランド値とみなせる。放射線放出鉱石を用いても同じ効果が期待できる。しかし、放射線の被爆の恐れがあり、実用化した商品はない模様である。

4.トルマリンのような鉱石によりマイナスイオンを発生させると称するもの
 衣類、ブレスレッド、マスク、包帯など実に多くの商品に、このトルマリンを塗り、マイナスイオンを発生させるという。商品の説明では、トルマリンは別名「電気石」と呼ばれるように自然の状態で微弱電流を永久的に流し続け、常に静電気を発生するとあった。しかし、静電気なのに微弱電流が流れるというのはそもそも静電気ではない。静電気ならば分極状態を保つだけなのでエネルギーを消費しない。従って、マイナスイオンなど生成できない。静電気でなかったとしても、永久に電流を流し続ける物体など存在しない。もし、マイナスイオン値を記載してあったとしても、それは宇宙線などにより生成されたバックグラウンド値を単に記した可能性が高い。こんな物理学の基本に反する商品が多数存在すること自体が不思議である。トルマリン関連商品の唯一のメリットは副作用を心配しなくて良いことである。

マイナスイオン商品に共通した基本的問題点と解決手法の提案
 マイナスイオン関連の商品の種類は600近くに達したので巨大市場といえる。しかし、巷間、虚の市場とも言われるのは、化学、物理学、薬理学の基本原理から外れているのに、それに反論できる仮説や資料がないことにある。このような場合には、主観的な中途半端の試験をいくら積み重ねても意味がなく、まず基礎理論をしっかり固める必要がある。

1.マイナス学説の前提条件の確認:環境中マイナスイオンの実測
 マイナスイオン学説によれば滝や森林はマイナスイオンが多く爽快であり、都会は排気ガスなど多くプラスイオンが多いということである。しかし、都会に多い亜硫酸ガス、硝酸イオン、ホルムアルデヒドはマイナスイオンなのでマイナスイオンの多い都会環境もあるかもしれない。特に都会での測定はきめこまかく実施し、また滝の周辺などでも空間的にも細かく実施する必要があろう。主要地点では空気中成分の質量分析も行なう必要があろう。なお、煤煙の埃、花粉、ハウスダストのような化合物の集合体である巨大物質はその表面が例えプラスに荷電していようがいまいが関係ないので除外して考えるべきである。かかる物質はヘパフィルターなどで除去するしか方法がないからである。
 森林、山地、海岸、田園、室内などさまざまな環境中での測定データーを解析すれば、マイナスイオン研究のモチベーションも得られるであろう。

2.マイナスイオン(プラスイオン)とは何かその正体を明かにすることである。
 専門家が議論する場合の共通の出発点は物質の特定である。構造式で示すことが望ましいが、わからなければ分子式で示すべきだ。しかし、それでもわからなければ元素分析値は示すべきで、この条件は最低限満たされる必要があろう。
 類似した商品群ごとにまとめてで良いが、何万種も存在するマイナスイオンの何かを特定することが第一歩であろう。

3. マイナスイオンの有効性およびその作用機序の確認
A.マイナスイオンの有効性を想定できる論理構成は可能か?
 通常有効性を確認し、それから作用機序を解明するのが順序であるが本件に関しては例外で、まず効果を期待できる理論が存在するか、なければ仮説で良いから何か新しい理論を組み立てて欲しい。そのいずれもが不可能だった場合には、労力をかけ有効性の確認試験をすることはないと思う。
健康に良い影響を及ぼす物質はほとんどが化合物で、稀に分子または原子もあるが、それが最小単位だった。ある物質に電子が余分についた不対電子は細胞を貫通するエネルギーなどなく、電子が不足した分子などに電子を供給するくらいではないかと思われる。ほとんどエネルギーを有しない不対電子がどうして健康に良い影響を及ぼすのか、医学の常識を超えているように思える。不対電子の生物作用という全く新しい領域の学問を立ち上げるには、まず作用メカニズムに関する仮説くらいは提示する必要があると思う。
 更に、濃度面からの考察も必要で、というのはどんに強い生物作用を有する物質でも閾値というものがあり、ある濃度以下では作用が発現しない。マイナスイオン1万個/立方センチは高濃度と錯覚し易いが、分子というものは極めて小さく、その大きさはオングストローム(Å:1億分の1cm)単位なので容積としては、その3乗になる。従って、1立方センチ中に分子は2679京個という天文学的な数が存在する。
 比較のために猛毒なサリンを引き合いにだすと、吸入による急性毒性値(9)(LD50)は70mg/立法メーターなので、立法センチメーター当りの個数を計算すると約30兆個になる。生物作用量をLD50の100分の1と仮定しても3000億個である。サリンと比較するとマイナスイオンの量が如何に超極微量かがわかる。
 このような超極微量で作用の発現を期待するためには、従来の受容体理論を越えた新しい概念が、仮説でも良いから提示されるべきだと思う。
B..有効性試験
 前項の問題に対する論理的な仮説ができたとしたら、初めて有効性の試験をする価値があると思う。
 滝の周辺や森林が爽快であり、マイナスイオンが多いことは認めるとして、だからマイナスイオンが爽快にさせるとは言えない。何故なら滝の音だったり、周囲の環境かもしれない、森林浴の場合には愛好者の主張するような物質の影響かもしれない。爽快とか不快とかいう感情は精神的な影響を強く受けるし、また試験者が先入観念を持っていれば判断を間違えることもある。従って、最終的には二重盲検試験が必要になるが、用量―作用関係、作用発現時間と持続性など、その前に検討すべきことは多い。そこで、機能的核磁気共鳴画像装置を使って脳の興奮部位(10)を調べる方法を採用すれば、主観要素を除外でき、マイナスイオンとの量的関係の把握などが容易となり、有力な手段ではないかと提案する。

謝辞
本文作成に際し、種々情報を提供して戴きました東京大学生産技術研究所安井至教授ならびに本ホームページへの掲レを奨めてくださいました橋本敬太郎理事長に深謝します。

参考文献
1) マイナスイオン神話の解体;ブームの始まり、あるある大辞典:
  http://esp2003.hp.infoseek.co.jp/m_deconstruct.html#sinwa_1
2) マイナスイオン神話の解体;恥ずかしい商品を売る大企業リスト:
  http://esp2003.hp.infoseek.co.jp/m_ion.html#hajisirazu
3) Lenard PEA.. Ueber die Electritaet der Wasser. Wiedemanns Analen Der Physik 1892; 46: 585-636.
4) 西川和男、野島秀雄.:プラズマイオンにより生成したイオンで空気中ウイルスの不活化.化学と工業, 2003; 56、884-888.
5) U.S. Environmental Protection Agency, "Ozone Generators that are Sold as Air Cleaners: An Assessment of Effectiveness and Health Consequences", http://www.epa.gov/iaq/pubs/ozonegen.html
6) The American Lung Association suggests that ozone generators not to be used. The sentence was written in http://www.lungusa.org/air/air00_aircleaner
7) The National Institute of Allergy and Infectious Diseases (NIAID) Warns About False Claims in Some Air Cleaning Appliances: http://www.niaid.nih.gov/publications/allergens/full.htm
8) Health Canada warns the public about air cleaner designed to intentionally generate ozone, 09, Jun, 2003: http://www.ho-so.gc.ca/english/index.html
9) プレホスピタルケア.1995(8:3); 17, 85-90
10) Roland PE and Zilles K, Structural divisions and functional fields in the human cerebral cortex, Brain Research Review.1998; 26: 87-105


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