アーカイブ

コレスポンデンス

細胞内Ca2+測定法の有用性と問題点(2)
東京大学・院・農学生命科学研 唐木英明
ahkrki@mail.ecc.u-tokyo.ac.jp

 情報伝達に関与するμM以下の遊離Ca2+の測定は、い わゆるCa2+インジケーターの出現により始めて可能にな った。しかし、最初のインジケーターであるエクオリンを 使った平滑筋の報告は混乱をもたらした。フェニレフリン を投与すると血管は持続性に収縮するが、遊離Ca2+は一 過性に大きく増加した後にほとんど静止値まで低下したの である。この成績が正しければ、収縮の立ち上がりには Ca2+が必要だが、持続には必要がないことになる。それ では、収縮の持続はどのような機構によるのか?この疑問 への答えが「ラッチ機構」と「Ca2+感受性の増加」であ った(1)。

 その後、Fura-2などの蛍光指示薬が開発されたが、こ れらの指示薬で測定するとエクオリンとは違った結果が得 られた。すなわち、収縮張力と遊離Ca2+量はほぼ相関し た変化を示すのである。しかし、細かく見ると、脱分極刺 激に比べて作動薬による刺激時には同じ遊離Ca2+量でも やや大きな収縮が得られた。逆に、エンドセリンやプロス タグランジンF2αなどの作動薬投与により起こる小胞体 からの一過性の遊離Ca2+量増加や、リアノジンやシクロ ピアソン酸などによる持続性の容量依存性Ca2+流入に起 因する遊離Ca2+の増加は、予想に反して収縮を引き起こ さなかった。このようなCa2+量と収縮との乖離のうち、 前者は「収縮制御系のCa2+感受性の増加」、後者は「細胞 内Ca2+の局所的高濃度分布」と解釈されている(1-3)。こ のようにエクオリンを使った初期の成績は収縮タンパク質 のCa2+量を正確に反映するものではなかったが、ここか ら生まれた推論は正しかったのである。このような成績を どのように評価すべきであろうか?

 Ca2+量測定の一つの大きな目的は、情報伝達に関与す る遊離Ca2+量の変化を知ることである。しかし、細胞質 の構造が一様ではなく、Ca2+の流入、遊離と再取込み、 特異的結合(作用点)、非特異的結合、排出などを行う分 子の分布に局所性があり、したがって遊離Ca2+の分布に も時間的だけでなく空間的な変動がある。ことが分ってきた。 現在の測定法の解像度ではこれらの変化と細胞構造とを結 び付けるまでには至っていないために、未解決の問題が多 く残されている。

 例えば、低温La3+法で測定すると、作動薬により筋小 胞体から20μMのCa2+が一気に放出されるが、遊離Ca2+ 量の増加を測定すると1μM以下である。この差は、筋小 胞体からのCa2+遊離が細胞質ではなく細胞膜方向に向け られ、Ca2+の局在を生ずるというvectoria1 re1easeの考 え方で説明できるのだろうか?

 また、45Ca2+を使った実験からは細胞のCa2+が静止時 にも激しく動いそいることが示された。しかし、蛍光指示 薬を使った実験では、静止時の遊離Ca2+量は数十nM程 度で安定しているということは、Ca2+は細胞質を通過 せずに、外液と結合部位の問を直接移動しているのだろう か?もしそうならば、その結合部位は細胞膜しかないが、 Ca2+に対して比較的透過性が低い細胞膜をCa2+がこのよ うに大量に、急速に移動できるのはなぜだろうか?また、 このCa2+の役割は何だろうか?

 高濃度K収縮時には、大量のCa2+がミトコンドリアに 取り込まれるが、蛍光指示薬で測定した遊離Ca2+濃度の 増加はノルエピネフリン収縮時と余り変わらない。ミトコ ンドリア抑制は高濃度Kによる収縮も遊離Ca2+量の増加 も抑制せず、ミトコンドリアヘのCa2+取り込みだけを抑 制する。さらに、高濃度K+存在下にノルエピネフリンを 投与すると、遊離Ca2+量と収縮はわずかに増加するだけ であるが、ミトコンドリアヘのCa2+取り込みは高浸度K+ 単独のときに比べて倍増する。このような成績は、ミトコ ンドリアヘのCa2+取り込みが細胞質の遊離Ca2+濃度の増 加を介さないことを意味する。それでは外液Ca2+はどの ようにしてミトコンドリアに達するのだろうか?外液から 膜に移動し、膜から直接ミトコンドリアに移動するのだろ うか?ミトコンドリアは細胞質のCa2+濃度が増加したと きに緊急にCa2+を取り込む役割を果たす、と考えられて いるが、これは間違いなのだろうか?

 1987年に私達がFura-2を使って平滑筋組織の遊離 Ca2+量と収縮の同時測定に初めて成功したときには、こ れでCa2+動態の謎は一気に解明できると信じていた。そ の後10数年を経過したが、私達の予想と異なり、問題は ますます複雑化した。私の30年前からの課題である細胞 におけるCa2+移動の経路と意味を明らかにするためには、 画像解析装置の解像度が細胞内小器官を識別できる程度ま で改良されることと、Ca2+の量だけでなく、その動きを 経時的に追いかける新しい方法の開発が必要である。1960 年代に平滑筋の45Ca2+動態で先駆的な研究をし、イオン研 究の世界から忽然と身を引いたP.J. Goodfordが残した言 葉“ars longa, vita brevis"を実感として感じるこのごろ である。

【文献】(1) Karaki H: Trends Pharmaco1 Sci 10, 320-325 (1989), (2) 唐木英明:日薬理誌 96, 289-299 (1990), (3) Karaki H et al: Pharmaco1 Rev 49, 157-230 (1997)

これは日薬理誌116巻4号より転載したものです。  

コレスポンデンスメニューへ戻る

このページの先頭へ