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コレスポンデンス

医学教育コア・カリキュラム案と臨床薬理学教育について
浜松医大・臨床薬理 大橋京一
rinyaku1@hama‐med.ac.jp  

 編集委員会より千葉大学中谷先生の「医学教育コア・カリキュラム案と医系薬理学教育に対する私見」に対する意見を求められました.私の意見を含め各大学の意見をまとめた医学教育コア・カリキュラムの最終案が3月末に出る予定ですが,この原稿を書いている段階ではまだ手元に届いていないため昨年11月の案について臨床薬理学の立場で述べさせていただきます.

 本誌3月号で中谷先生が,また4月号で多くの先生が指摘されているごとく,体系的に薬理学,臨床薬理学の基本を学ぶことがコア・カリキュラム案にはまったく抜けています.「‐ologyを排除する」といわれますが,薬理学,臨床薬理学を通して薬物治療学の基本を学ぶことなく適正な薬物治療を行うことはできません.マスコミから医療過誤をたたかれ,医師のコミュニケーション不足や,診察手技の未熟さを指摘されているからといって,卒前の臨床実習において動脈採血の実施や胃管挿入等医療行為のかなりの部分を経験させるのに対し,「医学部を出ても処方がかけない」という声には全く配慮がなく,薬理学,臨床薬理学教育があまりに軽視されているように思われないでしょうか.

体系的に薬理学,臨床薬理学の基本を学ぶ姿勢がなければ,各論の疾患の最後に薬物治療の項で治療薬物名だけのまる覚えになり,まったく役にたちません.薬物治療に関しては,これまでわが国の医学教育において批判のあった診断学偏重・治療学不在に逆戻りのコア・カリキュラムではないでしょうか.同じ意見を鳥取大・臨床薬理学の長谷川先生より私信でいただいています.

 医学生が治療学を学ぶ際には基礎薬理学で薬理作用の基本を修得し,臨床の場における診断から薬物にアプローチしてゆく薬物療法の論理について学ぶ必要があります.薬物治療の普遍的,原則的内容を十分理解し,応用力を養えるように総論的,理論的項目については十分な時間が必要であると思います.特に臨床薬理学は臨床医学として医学部の上級あるいは最終学年での教育が最も効果的とする報告が多いです.

浜松医大の例をあげて恐縮ですが,薬理学,臨床薬理学さらに薬剤部の教官により医学科3年生より6年生まで毎年なんらかの薬理学,臨床薬理学講義,実習,臨床実習が行われています.コア・カリキュラム案に述べられている薬物治療の基本的知識はあまりにもお粗末で,薬理遺伝学,時間薬理学,薬物動態とTDMに基づいた投与設計と評価,高齢者,小児,妊婦への薬物投与法,腎,肝障害時の薬物投与法,薬剤選択法などが抜けております.

 治療学を身につけるためには単に知識(knowledge)のみでなく,技術(skill)や態度(attitude)を学ばなければなりません.このためには知識授与型ではなく問題解決型がより効果的であるとされています.WHOが必須医薬品活動プログラムの一環として推奨している“P‐drug"(Personal Drug,自分の手持ちの薬)は薬剤選択法を含む医薬品適正使用の問題解決型のプログラムの一つだと思います.

4月号の本欄で帝京大の中木先生が薬理学,臨床薬理学教育において代表的でかつ臨床でよく使用される薬物を100-150程度に絞り,具体的に薬物名をあげて教育を行うことを述べておられましたが,私も賛成です.コア・カリキュラムの各論でただ薬物名を覚えるのではなく,なぜその薬物が選択されるのかが重要なことです.わが国では現在,商品名で約17,000種類,成分数で約2,400種類の医薬品が存在しています.

このうち一人の医師が処方する数はせいぜい80程度です.科学的な有効性の確認が不十分のまま使用されている医薬品が多いのも事実だと思います.臨床薬理学は,薬物の人体における作用と動態を研究し,合理的薬物治療を確立するための科学であり,医学,医療が真に病める人の健康や生命,生活の質の向上に貢献するための治療学,特に薬物治療の適用に際しての科学的根拠を作ることが使命のひとつです.科学的根拠に基づいた薬物選択を薬理学,臨床薬理学教育においても考える必要があるのではないでしょうか.

 繰り返しになりますが,治療学は基礎薬理学と臨床薬理学の有機的な一貫教育によって成し遂げられるものです.臨床薬理学教育を実施している医学部は1992年には58%でしたが1998年には92.5%(日本臨床薬理学会アンケート調査より)に達しており,治療学はすでに医学教育のコア・カリキュラムとして認められてきました.しかし今回の医学教育コア・カリキュラム案が最終的に滑り出せば多くの大学が受け入れることになると思います.各大学で特色を出せばよいといいますが,前述のごとく治療学教育には体系的な教育が必要となり,この案を認めることは医学教育の大きな退歩といわざるをえません.臨床薬理学教育に携わる者として強い危惧を覚えております.

これは日薬理誌116巻4号より転載したものです。  

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