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本原稿は、日本薬理学雑誌に掲載された記事を転載したものです。

アンチトロンビン III  

 多種多様な病態の原因となる血栓症の治療に凝固系の制御は重要なものと考えられ,古くからヘパリンやワーファリンなどが臨床治療にさいして有用な薬物として使われている.特に,静脈内投与で即効性をもつヘパリンは臨床において最も繁用される薬剤の一つであり,この薬理作用の発現に不可欠な因子としてアンチトロンビンIII(ATIII)が挙げられる.

 ATIIIは432のアミノ酸より構成される分子量約58,000の1本鎖糖タンパク質である.ヒトでは肝臓で生合成され主に血漿中に約15‐25 mg/dlの濃度で存在し,その半減期は約2.8日であるが,ヘパリン治療中の患者ではこの半減期が約2.1日に短縮するとされている.ATIIIは凝固カスケードの活性化因子であるセリンプロテアーゼに対して阻害作用を有している“セルピン”(Serpin: Serine‐protease inhibitor)と呼ばれる一族の代表的な一つである.ATIIIの一次構造ではN末領域にヘパリン結合部位がありC末近傍にプロテアーゼとの反応部位があることが明らかにされており,その阻害作用はヘパリンに対して強い親和性を持つため,ヘパリンの存在下で活性化第II因子(トロンビン)や活性化第X因子に対する阻害作用が非存在下に比較して数100倍から約1000倍に増強されることが良く知られている.

 一般にSerpinが作用を発揮する際には分子構造上の反応ループと言われる部分が大きく変化する.つまり,反応ループが標的プロテアーゼによっていわゆる“基質”として認識され,反応部位のペプチドが切断されてプロテアーゼの活性中心にあるセリンにアシル結合構造が形成されて複合体となる.さらに,切断された反応ループが新たなストランド構造を形成することで結合構造を強固にすると考えられている.ATIIIやPAI‐1では,他のSerpinと異なり反応部位が完全に切断されることはないが,動的変化を伴ってあらたなストランド構造を分子内に挿入して安定した結合状態を保つものと考えられている.また,最近Native formとLatent formのアンチトロンビンダイマーのX線結晶構造解析や高親和性ヘパリンのコア部分のペンタサッカライドとの複合体の結晶構造解析がなされ,ATIIIとヘパリンの3次元的相互作用部位と活性化された際のATIIIの分子内の動的構造変化が明らかにされている.

 その結果,ヘパリン非存在下でのATIIIはSerpinとしての役目を果たせない不完全なものであることが明らかになった.すなわち,ATIIIは(1)反応部位のArg393の側鎖が分子内部に配向しているためプロテアーゼとの反応がスムースに進行しない.(2)塩基性アミノ酸の側鎖がヘパリン中の硫酸基を補足する方向に配置されていてヘパリンとの結合後はこれが安定化されプロテアーゼとの反応が進みやすい方向に改善される.(3)反応ループの一部がストランドにゆがみを与えており切断後に反応ループがうまく挿入されない.(4)ヒンジ領域(反応ループが入り込む際の蝶番の役割を果たす)とシャッター領域(挿入の際の開口部)が立体構造的変化に深く依存している.

 このようなATIIIの特性を生かして臨床では現在ATIII濃縮製剤がDICの治療に広く用いられている.また,ATIII単独では血管内皮細胞上のヘパリン様物質と相互作用して内皮細胞からのプロスタサイクリンの産生を促し,かつ放出されたプロスタサイクリンが抗サイトカインおよび抗活性化好中球作用を発揮して血管内皮細胞傷害や組織傷害(臓器障害)を軽減する可能性があることも報告されている.一方,ヒトにおけるATIII欠損症の報告は古く,臨床症状として昜血栓症(主に静脈系の血栓,塞栓)の報告が知られている.現在では遺伝子解析も進んでおりType I(ヘテロ接合体)およびType II(抗原量は正常であるが阻害活性に異常を認める)の報告がある.

 また,最近,名古屋大学第一内科がATIII欠損マウスについて,胎児期の生存率と心筋や肝臓での凝固異常について報告しており,今後の欠損マウスを用いての生理・薬理学的実験も注目される. おわりに:不完全なSerpinであるATIIIの効果発現はヘパリンに依存し,逆にヘパリンの作用発現のキーはATIIIが握っている.この関係は凝固カスケードの中心であるトロンビンの制御に重要な役割を担っていることは明らかであり,血栓症の治療に有用な手段ということができる.一方,現在ではATIIIに非依存的な抗凝固薬も注目されている.特に,活性化凝固第X因子は1分子が138分子のトロンビンを作成するなど増幅機構である凝固カスケードの中心的役割を担うものとして,抗Xa薬の開発は注目される.

 我が国においてもすでに数社のXa阻害薬が基礎実験においてその効果が証明され,臨床試験においても終盤を迎えているものと推察される.今後,この分野でのさらなる発展が期待される.

岐阜大・医・薬理 松野浩之
e‐mail: leuven@cc.gifu‐u.ac.jp
キーワード:血栓症,アンチトロンビン

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