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本原稿は、日本薬理学雑誌に掲載された記事を転載したものです。

アディポサイトカイン

 今,脂肪細胞が注目されている.脂肪細胞は蓄えたエネルギーを飢餓時に全身に供給する働きを持つが,その分子生物学的特性についてはあまり顧みられなかった.ところが我が国や欧米で糖尿病,動脈硬化が急増しその対策が社会問題となる中,これら疾患の背景に過栄養や運動不足という生活習慣があり,肥満,即ち脂肪組織過剰蓄積が重要であることが再認識されるようになった.

 時を同じく脂肪細胞にも新しいメスが入り,この細胞が単なる貯蔵細胞のみでなく,糖代謝,脂質代謝の中心的な役割を担い,様々な生理活性物質を血中に放出する内分泌細胞でもあることが明らかになった.1998年NIH,WHOは肥満治療ガイドラインを示し,体格指数(BMI)30以上を肥満とするが,腹部周囲長の大きいものは特に積極的指導を行うよう脂肪分布の考え方を取り入れた.我が国ではBMI 30以上の肥満者は約2%と,欧米諸国の20‐30%に比しかなり低いが,肥満に伴う疾病例えば糖尿病発症率は低くなく,BMI 25程度から増加してくる.従って疾病予防には我が国独自の診断基準が必要である.

 腸間膜周囲の腹腔内脂肪蓄積は耐糖能異常,高脂血症,高血圧の発症と密接に関連する.日本肥満学会はBMI 25を「肥満」の判定基準とする一方,すでに疾病を伴う肥満や将来疾病を招来する可能性の高い内臓脂肪型肥満を「肥満症」という疾患単位として捉えるよう提案した.この考え方は医学的見地から肥満治療上で欧米より進んだもので,糖尿病,高脂血症,高血圧など個々の疾病の治療のみに囚われず,より上流から疾病を予防しようとするものである.体脂肪が蓄積すると何故疾病がおこるのかその分子メカニズムは未だ明らかでない.

 脂肪組織欠損マウスは著しいインスリン抵抗性,糖尿病,高脂血症をきたし,脂肪組織移植により改善することから,この組織が糖代謝,脂質代謝を制御する上で中心的役割を担うことは明らかである.一方ヒトゲノム計画が進む中,人体各組織の発現遺伝子情報も急速に増加し,この組織が生体防御や代謝調節に関わる様々な生理活性物質を産生し血中に放出することがわかってきた.肥満ではこれらアディポサイトカインの分泌異常が生じており,新規アディポサイトカイン同定とそれを標的とした創薬開発が世界的に進められている.脂肪細胞から分泌されるサイトカインと病態について最も早く注目したのは米国のSpiegelmanであり,1993年彼らは脂肪細胞分化で発現が変化するサイトカインを検討するうち,TNF(tumor necrosis factor)αが肥満マウス脂肪組織で発現が亢進し,その作用をブロックするとインスリン抵抗性が改善することから,この分子がインスリン抵抗性発症に関与している可能性を示した.

 翌1994年末に肥満マウスの原因分子として同定されたレプチンは脂肪細胞特異的分泌因子で,体脂肪が増加すると分泌が亢進し,視床下部に食欲抑制のシグナルを伝える.私達は大阪大学細胞生体工学センターとの共同研究で脂肪組織発現遺伝子の大規模シークエンスを行い,脂肪組織,特に内臓脂肪が多彩な生理活性分泌因子を発現していることを明らかにし,また内臓脂肪蓄積時に線溶調節因子であるplasminogen activator inhibitor type 1(PAI‐1)発現が亢進して血栓性疾患の発症に関与するという,脂肪細胞因子による血管障害の新たな機構を示した.最近もレジスチンと呼ばれるインスリン抵抗性の候補分子が同定されている.

 この分子はインスリン抵抗性改善作用を持つチアゾリジン誘導体によって発現が減少する脂肪細胞特異的分泌因子である.高脂肪食で血中濃度が増加し,抗体によるブロックでインスリン感受性は改善する.脂肪組織発現遺伝子解析過程で見いだした脂肪組織に高発現する遺伝子,apM1(adipose most abundant gene transcript 1)は,N端に線維状コラーゲン構造,C端に補体系C1q類似のglobular domainをもつsoluble defense collagenに属する新規分子をコードし,私達はadiponectinと名付けた.ほぼ同時期に2つの研究室より同定されたAcrp30とAdipoQはadiponectinのマウスホモログ,またジェラチン結合能をもつ血漿タンパクとして精製されたGBP28(gelatin‐binding protein of 28 kDa)はadiponectinと同一である.

 adiponectinはヒト血中に5‐10 μg/ml(0.5‐1.0 mg/dl)という高濃度で存在する.多くの脂肪細胞由来因子は肥満度とともに血中濃度は増加するが,血中adiponectin濃度はBMIと逆相関を示す.病態との関連では冠動脈疾患,2型糖尿病,特に大血管症合併例ではBMIをマッチしても血中adiponectin濃度は低下している.adiponectinは血管傷害時には血管壁に集積し,血管内皮細胞への単球接着抑制や単球マクロファージからのTNFα分泌や泡沫化を抑制する作用などの抗動脈硬化作用を持つ.本来脂肪細胞が分泌すべき分子が分泌不全にいたると病態に繋がる可能性がある.

 肥満は従来身体状況として捉えられていたが,今や急増する生活習慣病の中心に位置している.キーとなる脂肪細胞由来因子が同定されれば,それを標的とした治療法の開発も可能であろう.

大阪大・院・医学系・分子制御内科 船橋 徹,松澤佑次
キーワード:アディポサイトカイン,内臓脂肪,生活習慣病

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