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本原稿は、日本薬理学雑誌に掲載された記事を転載したものです。

アミロイドβタンパクのワクチンを用いた
アルツハイマー病治療の可能性

 認知・記憶障害を示すアルツハイマー病(AD)あるいはアルツハイマー型老年痴呆患者の脳には,老人斑と呼ばれる特徴的な病変がみられる.40~42個のアミノ酸から成るアミロイドβタンパク(Aβ)が凝集体をつくって脳内に沈着し,老人斑を形成する.また,家族性ADから発見された変異型のAβ前駆タンパク質(AβPP)を遺伝子工学的にマウスに組み込むと老人斑に似たアミロイド沈着が生じることが示され,AD動物モデルとして注目されている.AβがADを引き起こす主原因かどうかは議論が続いているが,薬物によりAβの生成や沈着を抑えることができれば,ADの予防や治療に有効かもしれない.

 最近,こうしたアミロイド仮説に基づいたAD治療を大きく前進させると期待される驚くべき研究成果が発表された.Aβワクチンの開発である.Aβ接種により生体に免疫が生じ,脳内のAβ沈着を防げるというアイデアである.ある種の変異AβPP発現マウスは加齢に伴い脳内Aβ沈着を示すが,若齢期にAβとadjuvantを混合して繰り返し皮下注射すると,血清中にAβに対する抗体が検出され,老齢になってもAβ沈着が生じなかった(Nature 400, 173‐177, 2000).また,すでに脳内にAβ沈着が起きはじめている週齢のマウスにAβとadjuvantを混合注射すると,一度形成されたAβ沈着が部分的に消失した.

 Aβ接種がAβ沈着を減少させたメカニズムとして2つの可能性が考えられている.ひとつは,体内で産生された抗体がAβに結合し凝集体の形成を阻害するという可能性.抗Aβ抗体を末梢投与すると脳内Aβ沈着が抑えられたという報告(Nat Med 6, 916‐919, 2000)は,この考えを支持している.もうひとつは,Aβに対する細胞免疫が活性化されたという可能性.活性化された免疫系細胞が沈着したAβを貪食することによりアミロイド斑が消失するのかもしれない.この考えは,単なる抗体投与よりもワクチン療法が優る可能性を期待させるものであり,興味深い.  変異AβPP発現マウスはAD動物モデルのひとつとして注目を集めたが,脳内Aβ沈着が生じても記憶障害が認められない等の問題点が指摘されていた

.しかし,よくデザインされた行動解析により,ある種の変異AβPP発現マウスが加齢とAβ沈着に相関した記憶障害を示すことが明らかにされた(Nature 408, 975‐979, 2000).ADと関連した記憶障害をテストするには適切な学習試験法を選択することが重要であろう.そこで,Aβ沈着と記憶障害に相関がみられる動物モデルと学習試験法を用いて,ワクチンの効果がテストされた.Janusらは,ある種の変異AβPP発現マウスにおいて参照記憶型の水迷路試験を行い,Aβ接種によって加齢に伴う学習障害と脳内Aβ沈着を防ぐことができたと報告した(Nature 408, 979‐982, 2000).

Morganらは,別の種類の変異マウスと作業記憶型の放射状水迷路試験を用いて,同様に学習障害を防ぐことができたと報告した(Nature 408, 982‐985, 2000).  ただし,これらの報告にはまだ多くの問題点と疑問点が残っている.まず第1に,Aβ接種により産生された抗体がAβ沈着と記憶障害の防止に寄与したという確証はない.例えば,抗体がAβ沈着を抑える一方で,Aβ接種の結果起こる他の独立したメカニズムにより記憶障害が抑えられたのかもしれない.

Aβ沈着と記憶障害は無関係だが偶然並行していたに過ぎないかもしれない.第2に,Aβ過剰産生モデルにおいてAβ沈着を抑制する処置が有効だったからといってAD治療に有用とは限らない.極端に言えば,人為的にAβを沈着させて人為的に元に戻しただけのことである.実際のADではAβ以外の要因が関与しているかもしれない.

第3に,この動物モデルでは変異AβPPを組み込んでいるので,Aβ過剰産生以外の要素も無視できない.例えば,Aβとは独立した変異AβPPの働きにより記憶障害が起き,Aβ接種の結果回復したという可能性も否定できない.第4に,一度形成されたAβ沈着がワクチンにより消失したと先に報告されているが,一度現れた記憶障害も改善できるのかどうかについては,検討されていない.おそらく臨床上多くの場合ADの初期症状が診断されてから治療が開始されるであろうから,発症後でも有効かどうかは重要である.

 未解決の問題は多いものの,その可能性の高さから,ヒトへの応用が待ち望まれる.米国と英国では,このワクチンの臨床応用をめざして,すでに臨床試験が開始されている.安全性試験の結果,ワクチンの使用による人体への被害はなかったという.今後AD患者を対象とした試験の結果が出るにはまだ長い年月が必要だろう.成功すればAD治療に大きな進歩をもたらすであろうことは疑いないし,たとえ失敗に終わったとしてもアミロイド仮説の論議に決着をつけてくれるであろう.とても待ち遠しい.

星薬大・薬理 阿部和穂 e‐mail: abe@hoshi.ac.jp  
キーワード:アルツハイマー病,アミロイドβタンパク,
ワクチン

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