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本原稿は、日本薬理学雑誌に掲載された記事を転載したものです。

喫煙と肺がんリスク:チトクロムP450の
遺伝的多型との関連

 チトクロムP450(以下,P450またはCYP)は多くの脂溶性の薬物を解毒的に代謝する.一方,同じP450ががん原物質を真の発がん物質に活性化することも広く知られるようになってきた.ヒトの発がんの90-95%が環境化学物質によって引き起こされること,ほとんどの環境化学物質はチトクロムP450などによって活性化され初めて発がん性を示すことを考慮すると,「それでは,P450がなければ発がんしない?」との単純な疑問が湧いてくる.

 P450の1つ,CYP2D6の酵素活性を欠損しているヒトは白人に5-6%もいるとされ,この酵素活性を欠損しているヒトにデブリソキン,スパルテインなどの薬物を投与すると,血中濃度の著しい上昇が認められる.CYP2D6によって主に代謝される医薬品は三環系抗うつ薬を初め,抗ヒスタミン薬など70種以上にもおよぶ.この酵素の遺伝的多型と肺がんリスクのとの間に有意な相関性があると報告されたが,現在は否定的である.また,ベンゾ(a)ピレンなどの芳香族多環炭化水素を活性化するCYP1A1の遺伝的多型と肺がんリスクに関しても報告されているが,白人では追認されていない.

 我々は当初全く予想しなかった研究が発展して肺がんとCYP2A6の遺伝的多型に密接な相関があることを見いだしたのでここで紹介したい.  住友製薬で開発されていた抗PAF薬SM12502のphase I試験で,この薬の体内動態を調べたところ28名中3名が異常に長い半減期と高いAUCを示した.住友製薬から依頼され,3名が何故この様な体内動態を示したのか調べたところ,この薬(SM12502)はCYP2A6でもっぱら代謝されること,3名ではCYP2A6遺伝子が完全に欠損していることなどが分かった.この遺伝子欠損は新規な多型であった.そこで,遺伝子欠損の頻度を調べたところ,日本人では4-5%,タイ人では約2.5%のヒトがホモで欠損していた.白人にはほとんどいなかった.

 P450の性質や量は動物種によって大幅に異なっており,ヒトのP450で活性化される環境化学物質を簡単に見つけられる系は有用であるに違いない.Ames試験に用いられるサルモネラ菌の中にヒトのP450の遺伝子を導入し,菌体の中で変異原物質をヒトのP450で活性化させれば効率も良く,ヒトにおける代謝的な活性化の予測が可能になる.この系の樹立に成功し,その有用性を検証したところ,煙草の煙に含まれるほとんどのニトロソアミンがCYP2A6によって活性化されサルモネラ菌の突然変異を誘発することが分かった.

 上記のように2つの事実が分かった.すなわち,1)CYP2A6の遺伝子を持っていないヒトが居ること,2)CYP2A6は煙草に含まれる変異原物質(多分がん原物質)を効率よく活性化して,サルモネラ菌の突然変異を誘発すること.これらの事実を単純に総合すると,CYP2A6遺伝子を欠損しているヒトは喫煙しても肺がんリスクが少ないのではないかと予想された.

 本研究に共感された国立がんセンターの国頭英夫先生や北海道大学内科の秋田弘俊先生などによって,肺がん患者の血液が集められ,患者のCYP2A6遺伝子の解析(分子疫学的研究)が行われた.その結果は予想を上回るものであった.すなわち,1)肺がんの患者のCYP2A6遺伝子を調べると,健常人と比べ明らかにCYP2A6遺伝子ホモ欠損者の頻度が少ない.2)喫煙者と非喫煙者に分けて解析すると,上述の傾向は喫煙者においてのみ顕著であり,非喫煙者ではこの様な傾向は認められない.3)喫煙によって引き起こされる肺がんは扁平上皮がんや小細胞肺がんが多いとされる.当研究室の結果では健常人では10名以上いて良いはずのCYP2A6遺伝子ホモ欠損者が扁平上皮がんや小細胞肺がんの患者に一人も見いだされていない.

 以上の事実だけから判断すると,CYP2A6の遺伝子を欠損しているヒトでは煙草の煙に含まれるニトロソアミンが活性化されないため,喫煙しても肺がんになりにくいと説明される.  本研究で明確な結果が得られたのは,喫煙者に負荷されるニトロソアミンに焦点を絞ったためと考えられる.ヒトの発がんの原因は多様であり,多数の発がん因子が複雑に関与している場合は,1つの因子(例えばCYP2A6遺伝子)だけで到底説明出来るものではない.また,上述したように,CYP2A6遺伝子の欠損は白人にはあっても極めて少数である.したがって,単純に平均すると,喫煙による肺がんリスクは白人の方が高いことになる.

 一方,この研究には問題点が数多く残されている.すなわち,1)疫学的な研究には様々な要因を考慮する必要がある.本研究では既に1000名以上の遺伝子が解析されているが,1万名の遺伝子を解析したら,結果が全く変わってくる可能性がないわけではない.2)CYP2A6の遺伝子の欠損は他の発がん関連遺伝子(発がん遺伝子,発がん抑制遺伝子など)の変異とリンクしている可能性がある.3)肺におけるCYP2A6の存在量は多くない.したがって,本当にこの酵素の機能が肺がんリスクに結びついているのかについても,疑問が残る.

文献
・鎌滝哲也:薬物代謝酵素の遺伝的多型と疾患感受性.最新医学 56(1),59‐63(2000)
・鎌滝哲也:代謝酵素CYP2A6と肺癌リスク.毎日ライフ別冊ウェルビ 2,3‐5(2001)

北海道大・院・薬学研究科 鎌滝哲也
e‐mail: kamataki@pharm.hokudai.ac.jp
キーワード:CYP2A6,喫煙と肺がんリスク

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