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本原稿は、日本薬理学雑誌に掲載された記事を転載したものです。

バルプロ酸はヒストン脱アセチル化酵素
の阻害薬として機能する

 ヒストンのアセチル化と遺伝子の発現における活性化との間には一般に正の相関関係のあることが知られている.ヒストンアセチル化酵素(HAT: histone acetyl transferase)が従来より知られていた転写のコアクチベータと同一であるという発見によりクロマチン構造変換と転写活性化・不活性化との関係が明らかにされつつある.

またヒストン脱アセチル化酵素(HDAC: histone deacetylase)も単離され,コリプレッサーと相互作用する因子であることも判明した.このようにクロマチン構造変換酵素と転写活性能に対する正・負のコファクターとの関連性が明らかになってきた.さらにヒストンアセチル化はクロマチンリモデリングやサイレンシングを含めた転写制御のみならず,急性骨髄性白血病の発症のメカニズムに関与するなど,発癌のメカニズムとその治療という観点からも注目を集めている.最近,バルプロ酸(Valproic acid)がHDAC の阻害薬として機能するという論文が報告された(J Biol Chem 276, 36734-36741, 2001; EMBO J 20, 6969-6978, 2001).

バルプロ酸は抗てんかん薬,あるいは躁病等の気分障害の治療薬として広く用いられている薬物である.バルプロ酸は抑制性シナプスにおいてGABA 作用を増強することにより抗痙攣作用を発揮すると考えられているが,その詳細な作用機序は不明であった.例えばバルプロ酸がGABA合成酵素の活性を刺激するのか,あるいはGABA の分解に関与する酵素を抑制するのか,等バルプロ酸の生体内での標的分子に関しては全く明らかにされていない.

さらに,バルプロ酸を長期投与する場合に催奇形性が問題になるが,抗痙攣作用と催奇形性とを選択的に有する化合物を合成することが可能であることから,抗痙攣作用と催奇形性はそれぞれ異なる作用機序・標的分子を介すると考えられる.バルプロ酸と同様に躁病の治療に用いられる薬物リチウムがあるが,バルプロ酸やリチウムを投与してから病状が改善するまでにtime lag があることから,これらの薬物は遺伝子発現の制御を介してその効果を発揮するのではないかと推測されていた.

Phiel らはバルプロ酸により,リチウムと同様にβ-catenin の発現量が上昇することに着目し,リチウムがβ-catenin のタンパクを安定化させるのに対してバルプロ酸は転写レベルで(あるいはmRNA の安定性を介して)β-catenin のmRNA を上昇させることを示した(J Biol Chem 276,36734-36741,2001).さらに,Phiel,Gottlicher らはバルプロ酸がvitro でHDAC 活性を抑制すること(IC50=0.4mM),バルプロ酸処理により,Trichostatin A などの既知のHDAC 阻害薬と同様にヒストンのアセチル化が亢進していることを証明した.

興味深いことに,催奇形性を持たないバルプロ酸のアナログである抗痙攣薬valpromide や2M2P はHDAC 阻害活性を示さなかった.さらに,Trichostatin A などのHDAC 阻害薬をマウスやXenopus のembryo に対して,バルプロ酸と同様の発生過程の異常を誘起した.これらの結果から,バルプロ酸の有する催奇形性はHDAC の阻害を介していることが示唆される.Trichostatin A などのHDAC 阻害薬は白血病をはじめ多くの細胞系で分化誘導活性を示すとともにras, sis などのがん遺伝子で形質転換した細胞の形態を正常化するなどの生物活性を示す.このため近年,HDAC 阻害薬をがん治療薬として用いる可能性が浮上している.

Gottlicher らは,バルプロ酸が分化誘導活性を示すこと,動物実験で癌の増殖や転移を抑制することを示している(EMBO J 20,6969-6978, 2001).このことは,臨床的にバルプロ酸のもつHDAC 阻害活性を抗がん効果と結びつけうる可能性を示唆しており興味深い.HDAC には多くのアイソザイム(ひとでは少なくとも8種類)が存在し,その機能はそれぞれ異なることが推測される.従って,抗がん薬としてHDAC 阻害薬を応用する際には,副作用の軽減という観点からも目的の遺伝子の発現制御のみを行うことが理想であり,アイソザイム特異的なHDAC 阻害薬の開発が望ましい.

このような意味からも,バルプロ酸がclass I のHDAC をより選択的に阻害することは,トラポキシンなどの薬物と比較してもより選択的な化学療法への応用が期待される.

神戸大・院・医学系研・ゲノム科学 杉浦 麗子  
e-mail: sugiurar@med.kobe-u.ac.jp
キーワード:バルプロ酸,ヒストン脱アセチル化酵素阻害薬,
抗がん薬

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