本原稿は、日本薬理学雑誌に掲載された記事を転載したものです。
脊髄損傷後の再生,機能回復と薬物治療 |
交通事故等によって国内でも毎年新たに約5,000件が発生する脊髄損傷は,上行性および下行性伝導路の遮断のために感覚機能や運動機能の深刻な麻痺をもたらす.現状で唯一の薬物治療法であるステロイドの大量投与法は著効を示すものではなく,新たな治療法の開発が切望されている.脊髄損傷後の軸索再生に関する基礎研究は近年著しい進展を見せており(Science 295,1029-1031,2002; Science 297,178-181, 2002),ここでは薬物治療の観点に立脚した最近の報告をいくつか紹介する. 傷害を受けた脊髄内の軸索が再生しない主要な原因の一つは,傷害部位のグリア瘢痕に蓄積するコンドロイチン硫酸プロテオグリカン類(CSPG)や,ミエリン膜上のNogoタンパクなどが軸索伸長の阻害活性を有することであると考えられている.したがって,これら阻害物質の作用を抑制すれば軸索の再生を促進できると期待される.Bradburyらはラット頚椎背側部を挫滅させた直後から,CSPG のグリコサミノグリカン鎖を除去する酵素であるコンドロイチナーゼABC を脊髄クモ膜下腔内に投与した(Nature 416, 636-640, 2002).この処置によって,前肢由来の上行性軸索,および下行性皮質脊髄路の軸索の再生が促進され,歩行運動機能も顕著に回復した. 一方,ミエリン膜表面に発現しているNogo タンパクの66残基ドメイン(Nogo-66)は,軸索膜上の受容体を介してその軸索伸長阻害作用を発揮する.GrandPre らはNogo-66の部分ペプチドであるNogo(1-40)がNogo-66受容体の拮抗薬として働くことを見出した(Nature 417,547-551, 2002).ラット胸髄背側部に傷害を与え,同時に脊髄クモ膜下腔内へのNogo(1-40)の持続的投与を開始したところ,皮質脊髄路の再生が著明に促進された.また,縫線核に由来する脊髄内のセロトニン陽性線維投射の密度は,Nogo(1-40)の投与によってほぼ対照群レベルにまで回復し,BBB スケール*を指標とした運動機能の評価においても有意な改善が認められた. Myelin-associated glycoproteinやoligodendrocyte-myelin glycoprotein もNogo-66受容体のリガンドとして働くことが最近報告されており(Neuron 35,283-290,2002; Science 297,1190-1193, 2002; Nature 417,941-944, 2002),Nogo-66受容体の遮断は複数種のミエリン関連タンパクの軸索伸長阻害作用を一挙に抑制できる可能性がある.ニューロンの細胞内情報伝達系を調節することによって,ミエリンによる軸索伸長の阻害を克服するという試みも行われている. 有望なターゲットの一つは低分子量G タンパク質Rho を介する情報伝達系で,マウス胸髄背側部の損傷時にRho の機能を阻害するC3 transferase,あるいはRho-associated kinase 阻害薬のY27632を損傷部位に適用すると,いずれの薬物も皮質脊髄路の軸索の再生を促進した(J Neurosci 22, 6570-6577, 2002).また両薬物はBBB スケールを指標とした運動機能の回復も促進したが,その有効性は損傷の24時間後には既に認められたことから,軸索の再生促進以外に細胞死の抑制などの別の作用も寄与している可能性がある. さて,脊髄後根神経節(DRG)ニューロンにおいて末梢側枝を損傷させておくと,その後に損傷を受けた中枢側枝はミエリンによる阻害を受けずに再生能を発揮することが知られている.Qiu らは末梢側枝損傷のもたらすこのような効果を媒介する因子としてcAMP が重要な役割を果たしていることを示した(Neuron 34,895-903,2002).実際,ラット胸髄背側部の損傷を行う1週間前にdibutyrylcAMP をDRG に投与しておくと,上行性軸索の再生が促進された. なお,このcAMP による軸索伸展促進効果には,アルギナーゼI の発現増大とそれに伴うポリアミン量の増大が関与していることを示唆する知見が同グループから報告されている(Neuron 35, 711-719 ,2002).以上紹介した種々のアプローチは軸索再生や機能回復を促進するものとして有望なものではあるが,薬物投与のタイミング(前処置か,あるいは損傷直後に処置を開始している)や投与法の問題などから,直ちに臨床適用を想定するには難があるのも事実である.この点において,脊髄損傷の1時間後にエリスロポイエチンの全身性投与を行うことで機能回復が促進されたという報告は注目に値する(Proc Natl Acad Sci USA 99, 9450-9455, 2002). 薬物治療以外では,幹細胞等を移植して損傷部位に足場を形成させ,軸索再生を促すといった手法(Proc NatlAcad Sci USA 99, 3024-3029, 2002)なども重要な戦略であろう.そして,複数の手法の併用によってより効果的に再生と機能回復を実現できる可能性もある(J Neurosci 22, 7111-7120, 2002).現在の動物実験レベルでの知見からヒトでの治療法の確立までには,解決すべき問題がまだ山積みの状態である.しかし,光明は少しずつ見え始めている. *: BBB スケール:Basso, Beattie & Bresnahan が提案した運動機能の点数評価(0~21)の基準 |
京都大院・薬・薬品作用
解析 香月 博志 e-mail: hkatsuki@pharm.kyoto-u.ac.jp |
キーワード:軸索再生,ミエリン,運動機能 |