本原稿は、日本薬理学雑誌に掲載された記事を転載したものです。
内分泌攪乱性化学物質の中枢神経系への作用 |
農薬やプラスチックの可塑剤など,社会的に有用であるとして使用されてきた化合物の多くが,現在,内分泌攪乱作用を有する恐れのある化合物として考えられ,その使用や廃棄に注意がなされるようになってきた.内分泌攪乱性化学物質の生体への影響は,初期に報告された「生殖器異常」といった生殖系への影響だけではなく,現在は中枢神経系や免疫系にも影響を与えると考えられている. 多くの研究から,生殖系への影響の主な作用機序として,内分泌攪乱性化学物質がエストロゲン受容体(ER)あるいはアンドロゲン受容体(AR)に結合しagonist あるいはantagonistとして作用することにより,正常な性ホルモンの作用や制御機構を攪乱していると考えられている.この作用機序を踏まえて,現在,生殖系への作用に関して,ER やAR との親和性・結合能を指標にした環境化合物のスクリーニング法が確立しつつある.これに対し,中枢神経系への作用は,PCB 汚染食物の摂取の多かった母親から産まれた子供に学習障害やIQ の低下が見られたことや,実験動物や培養細胞を用いた実験でPCB の曝露によって行動異常やドパミンなどの神経伝達物質の減少が見られる事が報告されているものの,その分子機序はまだ明らかにされていない. PCBs は,多様な化学物質の混合物でその生体への作用も多様であるが,大きく2群に分けることができる.1つはnon-ortho-substituted PCB, coplanar PCB などと呼ばれ,Aromatic hydrocarbon(Ah)受容体と高い親和性を有し,ダイオキシンと同様,種々の遺伝子発現に関与している化合物群であり,4,4'-DCB(PCB15)などが属している.もう1群は,ortho-substituted PCB, non-coplanar PCB などと呼ばれ,2,2'-DCB(PCB4)などが属し,Ah受容体との親和性は低く,細胞内Ca濃度の変動などの様々な生物活性を有していると考えられている.例えば,ortho-PCB の曝露によって,ラット大脳皮質神経細胞培養系において,IP3受容体が関与した一過性の細胞内Ca濃度の上昇が起き,その後更に,L-type 電位依存性Caチャネルおよび用量依存性Caチャネル(store-operated Ca チャネル)が関与した長期的なCa濃度の変動が生じることが報告されている(J Pharmcol Exp Ther 297, 762-773, 2001). 細胞内Ca濃度の変動後,CREB のリン酸化(活性化)が起きていることから,MAP kinase を含む細胞内kinase pathway が関与した細胞内反応が引き続いて起きていると考えられている.PCB による細胞内Ca濃度の変動に関与している細胞内Caストアの受容体としては,リアノジン受容体であるという報告もある(J Biol Chem 272, 15145-15153, 1997).また別のグループは,ラット小脳顆粒細胞培養系において,ortho-PCB が,ホスファチジルイノシトールの加水分解,細胞内Ca濃度の変動,濃度依存的なPKC-α,PKC-εの細胞膜画分への移行を引き起こすと報告し,ortho-PCB の機能的標的分子がPKC-α,PKC-εである可能性を示唆している(Biochem Biophys Res Commun 280,1372-1377,2001). ortho-PCB だけでなく,内分泌攪乱性化学物質と考えられているbisphenol A,nonylphenol,有機スズ,鉛などの曝露においても,行動異常等の中枢神経作用を引き起こすとの報告もあるが,これらがortho-PCB と共通の作用機序なのか,各化合物固有の作用機序なのかも不明である.甲状腺ホルモンが神経のシナプス形成などに関与し脳神経発達時に重要であることから,近年,内分泌攪乱性化学物質の中枢神経作用に,甲状腺ホルモンが関与しているのではないかと考えられてきている. しかし,甲状腺ホルモン受容体やトランスサイレチンなどの甲状腺ホルモン結合タンパク質と中枢神経作用を有する内分泌攪乱性化学物質とが必ずしも強い親和性を有しているわけでもなく,現在はっきりその関係を示すことは出来ていない.神経作用の明確な基準が現在決められない事に加え,これら化合物の神経系作用のトリガーとなる生体内標的分子(受容体,結合タンパク質等)が明らかにされていないことから,内分泌攪乱性化学物質の中枢作用は,「見えているけれども掴めない雲」のような状態であると言える. 中枢作用に関する生体内標的分子が明らかになれば,作用機序が明らかになるだけでなく,内分泌攪乱性化学物質の生殖系作用のように,受容体との結合能を利用した各化合物のスクリーニング等が可能となることから,一刻も早く生体内標的分子の同定が望まれる. |
大阪市大・院・医学研・生体機能解析
廣井 豊子 e-mail: toyoko-loy@med.osaka-cu.ac.jp |
キーワード:内分泌攪乱性化学物質,中枢神経 |