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本原稿は、日本薬理学雑誌に掲載された記事を転載したものです。

プラセボはなぜ効くか? PET による脳研究

 田中耕一氏のノーベル化学賞で一躍有名になった島津製作所.その名は質量分析の世界に限らず,ポジトロン放出断層法(PET:positron emission tomography)の世界でも轟いている.島津製作所は本邦唯一の国産臨床用PET装置メーカーでもある.さらにPET 内部には,ダブル受賞のもう一人の立役者小柴昌俊先生の「カミオカンデ」と同じ光電子増倍管が多数配置されており,生命体という内なる宇宙からの微弱なエネルギーを体外測定する.

このようにPET は物理・工学的知識の結集のうえに成り立っている.投与された放射性トレーサーは体内臓器に分布する一方でβ崩壊を起こしてポジトロンを生じる.ポジトロン(陽電子)は正の電荷をもった電子であり,ノーベル賞物理学者ディラックが存在を予言した素粒子である.反物質粒子のポジトロンは,普通の電子と出会って互いの電荷を打ち消しあうように消滅する.

その時,2方向に放出される高い光エネルギーを対向する検出器で同時測定し,CT やMRI と同じ原理で再構成すれば,解剖学的構造ではなく生体機能情報の断層写真ができる.その利点は,多様なトレーサーを用いることで,血流,代謝,受容体結合能,伝達物質合成量,遺伝子発現など,様々な生体情報が収集できる点にある.

この特性により,PET 科学における薬学,薬理学の貢献は全く欠かせないものとなっている.「フェムト・モル」という非常に微量な物質の体内分布を測定できる点も無視できない.この高感度を生かして,LD50の数万~数十万分の1の微量なトレーサーで,十分な生体情報を得ることができる.世界中で,ドパミン,アセチルコリン,ヒスタミン,ノルアドレナリン,脳内オピエートなどの合成,代謝,受容体機能など,数多くの分子をターゲットとした基礎・臨床研究が行なわれている.

最近世界的に注目を集めているトレーサーは18F で標識されたfluorodeoxyglucose(FDG)である.これは古いトレーサーであるが,腫瘍科や循環器科,神経科におけるルーチンの臨床検査として有用であることがわかり世界中で大ブレイクした.日本でも平成14年度より保険適応の臨床検査として本格的に認可されている.FDG は,glucose transporter により細胞内に取り込まれhexokinase によってリン酸化されるが,それ以上は代謝を受けずにフッ素の陰電荷によって細胞内にトラップされる.

活発な細胞に蓄積される特性を利用して,増殖に明け暮れる腫瘍細胞を画像化したり,脳内の局所活動の変化を観察することができる.「読む」,「聞く」など高次脳機能にたずさわる時,脳のどこが使われているかを調べることが可能で,脳機能地図を作成するプロジェクトも進行中である.当然であるが,薬物負荷が行なわれた際のヒトにおける脳活動の変化をミリメートル単位の解像度で観察することもできる.ここでは,最近報告されるようになった興味深い研究をご紹介したい.薬理学の世界では,プラセボは一種の「基点ゼロ」にすぎないが,プラセボ投与で症状が緩和するメカニズムを説明できる方はおられるだろうか?

最近になり,相次いでプラセボに関する脳画像研究が紹介されている.未治療の男性うつ病患者にfluoxetine を投与する小規模なプラセボ対照試験を行ない,治療前後でPET による脳糖代謝を測定した.すると,プラセボで改善した群では,前頭前野,前運動野,下部頭頂葉,島後部,後部帯状回など多くの部位で脳糖代謝が亢進していた.

fluoxetineで改善した群でも同じ部位が変化を示したが,加えて脳幹橋部での代謝亢進が観察された.プラセボ投与でも,実薬投与時と同じ部位の脳が変化したことは興味深い現象である(Am J Psychiatry 159,728-737,2002).さらに,痛みを感じている人に鎮痛薬のオピエートを与えたときに前帯状回と脳幹部が賦活されたが,プラセボを与えただけで鎮痛作用がみられた人の脳内でも帯状回や脳幹部が同様に変化したという(Science 295, 1737-1740, 2002).パーキンソン病を対象にした研究では,薬が効くという期待が内因性ドパミンの遊離を促進し,プラセボ効果の発現に寄与していることが示されたとのことである(Science 293,1164-1166,2001; Trends Neurosci 25,302-306,2002).

このように,日常的に起こりうる現象だが一見証明しようがないと思われる現象も非侵襲的なPET を用いれば,生きた神経ネットワークの活動という次元で説明可能になってくることがある.「プラセボ対照試験」自体が意味するものを再度考えなおしてみることも必要かもしれない.

PET を中心とした非侵襲的脳機能画像研究はこれからも大いなる可能性をもちながら進歩を続けるに違いない.さらに非侵襲性機能イメージングが発展することを祈りつつ筆を置く.

東北大・院・医学系研・細胞/病態薬理学 田代 学,
谷内 一彦 (mtashiro@mail.cc.tohoku.ac.jp)
キーワード:ポジトロン放出断層法(PET),プラセボ,
脳機能画像

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