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本原稿は、日本薬理学雑誌に掲載された記事を転載したものです。

境界型人格障害(borderline personalitydisorder)
の薬物療法

 境界型人格障害とは,人間関係・自己イメージ・感情の不安定さと著しい衝動性が青年期より持続することを特徴とする精神障害である(DSM-IV-TR, 706-717, Am Psychiatr Association, 2000).自殺企図や自傷行為(いわゆるリスト・カットがよく見られる),あるいは対人関係の問題で自己不全感を持ち,抑うつ的となって精神科外来を訪れることが多い.

彼らの際だった特徴は,対人関係の不安定さと,ささいなストレスから問題行動に走ってしまう衝動性の強さである.精神科主治医との関係を持続することが難しく,問題患者と見なされている場合がある.不登校や出社拒否などの原因の一つともいわれている.また反社会的人格障害・演技性人格障害・自己愛型人格障害とともにクラスターB の人格障害群に分類されており,社会的な不適応を引き起こしやすい.精神保健関係者が彼らの言動に巻き込まれて,不適切な対応から破局的な事態に至ることもあり,治療技法の確立が望まれているが,いまのところ堅実なものは存在しない.

薬物療法も試みられるが次のような問題点がある.(1)ベンゾジアゼピン系抗不安薬は,彼らの緊張を和らげ不安を軽減することによって社会適応を改善するが,自覚的な効果が劇的であるため,薬物依存を引き起こしやすく,また,衝動的に大量服薬をすることがよくある.彼らは,些細なトラブルから寝つけないと言う理由だけでも大量服薬してしまうのである.(2)抗うつ薬は,抑うつ症状には効果的だが,三環系抗うつ薬は心毒性が強く7日分程度を一度に服薬しただけでも死に至る危険がある.

セロトニン選択性再取り込み阻害薬は,心毒性という点では安心して処方できるが,衝動性の抑制は期待できず,逆に促進してしまう危険も考慮しなければならない.(3)炭酸リチウム・バルプロ酸ナトリウムなどの気分調整薬もしばしば試みられるが,大量服薬の危険があること,衝動性の抑制は期待できないことは同じである.(4)抗精神病薬は,衝動性のコントロールがある程度期待できる点でぜひ試みたい選択肢だが,自覚的な効果が不快であること,錐体外路症状が生じやすいことから,コンプライアンスが問題となる.治療目標を明確にして納得の上で服用を始めてもらっても,治療中断に至ることが多い.

以上のような理由から境界型人格障害の治療は困難を極めているのだが,最近注目すべき報告がオーストリアからもたらされた(Eva Hilger, et al: World Biol Psychiatry 4,42-44,2003).Quetiapine が入院治療を要するほど重症の境界型人格障害の衝動性を抑制し,社会復帰に効果が見られたという2例が報告されている.Quetiapine はdibenzothiazepine誘導体の新世代の抗精神病薬である.抗ドパミン作用は弱く,常用量の上限750mg/日を使用しても錐体外路症状はまず出現しない.ただし,抗ヒスタミン作用が比較的強いため眠気が生じやすく日中の使用には限界がある.眠前に使用すると良好な結果が得られることが多い.

統合失調症の患者で衝動性の強い人にも効果が見られることがあるようである.筆者もquetiapine の特性に注目して境界型人格障害の治療を試みている.Hilger らは400mg/日および800mg/日使用しているが,自験例ではそれほど大量を要することはなく,最大使用量の患者で175mg/日である.通常は25mg 眠前,あるいは100mg/日程度を夕食後と眠前に分服してもらっている.このような処方では患者の感じる不快感は翌朝多少眠気が残る程度で,服薬困難を訴える人は少ない.一方25mg/日程度の少量でも,自覚的にも他覚的にも衝動性は抑制され,就学・就労・家庭生活に平安を取り戻すことに成功している.

今後の大規模研究の結果を待つ必要はあるが,現在のところ境界型人格障害の薬物治療には最適と考えている.さらに,新規薬物の中では片頭痛治療薬として使用されている5-HT1B/1D 作動薬(sumatriptan, zolmitriptan)が攻撃性を軽減することがヒトでも確認されており(Biol Psychiatry 51, 19-25, 2002),境界型人格障害の治療薬として有望と考えられる人格障害は,精神医学に薬物療法が導入された後も,治療困難な病態であったが,境界型人格障害の場合は衝動性をコントロールすることで社会適応が容易になる目処がようやく立ってきたようである.

他の人格障害もその病態の本質をコントロールすることで治療可能になっていくことが期待される.

芸西病院・精神科 氏原久充
e-mail: ujiharah@sa2.so-net.ne.jp

キーワード:クエチアピン,境界型人格障害,薬物療法 

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