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本原稿は、日本薬理学雑誌に掲載された記事を転載したものです。

炎症性中枢神経疾患の治療戦略

 多発性硬化症(multiple screlosis, MS)は中枢神経における炎症性脱髄性疾患の代表であり,その名が示すように空間的(中枢神経のあちこち)時間的(寛解・再発の繰り返し)に病巣が多発し,ミエリンの脱落とともにグリア瘢痕が形成され組織の硬化が生じる.進行性の場合,脱髄した神経は軸索退縮,神経変性へと至る.原因はいまだ不明であるが,自己反応性ヘルパーT リンパ球1型(Th1)が中心的役割を果たすことが明らかにされている.

ひとたび脳内で炎症がおきるとTh1細胞やマクロファージなどの免疫細胞が血液脳関門を通過して脳実質内に浸潤する.脳に定住するミクログリアと浸潤したマクロファージはともにTh1細胞に抗原を提示し,活性化を受けたこれらの細胞は細胞傷害性因子を放出してミエリンを攻撃し貪食する.治療には再発と進行を最小限にくい止める目的で副腎皮質ステロイド,インターフェロンβ,免疫抑制剤などが用いられている.近年,自己免疫性炎症疾患における炎症性サイトカインTNF の関与が明らかにされ,慢性関節リウマチやクローン病において抗TNF 療法が著効を示している.MS においてもTNF の上昇が認められており病態形成における重要性が示されている.

特に,TNF は血管内皮細胞を活性化し炎症細胞の浸潤を誘導するとともに,ミエリンを形成するオリゴデンドロサイトにアポトーシスを引き起こす.このような背景から,当初MS への抗TNF療法の適応が期待されたが,予想に反して抗TNF 療法はMS の症状をむしろ悪化させてしまうことが明らかとなった.炎症反応はT 細胞のアポトーシスにより寛解するが,TNF はT 細胞のアポトーシス誘導にも関与する.従って,TNF のブロックはT 細胞の持続的な活性化をも引き起こしてしまう.

最近の研究からは,血管内皮細胞の活性化,オリゴデンドロサイトのアポトーシスはいずれもI 型TNF 受容体(TNFR1)を介し,炎症反応の終結にはII型TNF 受容体の関与も示唆されていることから,従来の抗TNF 療法から新たにTNFRI を標的とした創薬がよりよい治療への道を拓くかもしれない(Cytokine Growth Factor Rev.2002;13:315-321.).その他のMS の新しい治療薬の候補としては,コレステロール合成に関わるHMG-CoA 還元酵素の阻害薬スタチン類やα4インテグリン抗体などがある.

まず,MS の動物モデルである実験的自己免疫性脳脊髄炎(EAE)マウスにおいて,アルバスタチンはTh1からTh2へのシフトを促すとともにミクログリアのMHC クラスII の発現を低下させ,炎症反応と神経症状を強力に抑えることが明らかとなった(Nature. 2002;420:78-84.).一方,T 細胞やマクロファージの脳実質への浸潤の第一歩は,炎症性サイトカインにより血管内皮細胞に誘導された接着分子vascular intercellular adhesion molecule(VCAM)-1とT 細胞やマクロファージの細胞表面に発現するα4インテグリンとの相互作用である.この相互作用を介して免疫細胞は血管壁をローリングし接着し血管壁を通り抜け組織へと浸潤する.EAE マウスにα4インテグリン抗体を静脈内投与するとこの相互作用は阻害され,T 細胞の脳内への浸潤は抑制される.この方法は,実際にMS 患者において有効であることが確認された(New Engl J Med. 2003;348:15-23.).

最近,ES 細胞や神経幹細胞を用いた神経変性疾患の再生医療に大きな期待が寄せられている.これらの幹細胞を目的とする神経細胞へと分化させたのち神経変性モデル動物の変性局所に注入すると,著しい症状の改善が認められている(Nature. 2002;418:50-56.).従来,これらの再生医療はパーキンソン病やハンチントン舞踏病のような変性部位が限定された場合には有効であるが,MS やアルツハイマー病のように病巣が多発する疾患への適応は極めて困難であると考えられていた.

しかしPluchino らは,神経前駆細胞はα4インテグリンを発現し,EAE マウスの静脈内あるいは髄腔内に注入すると免疫細胞とおなじ機序で脳実質へと浸潤することを見出した(Nature. 2003;422:688-694.).注入された細胞は脱髄を伴う炎症各部位へ向かい,オリゴデンドロサイト前駆細胞へと分化してミエリンを再形成する様子が観察された.さらに,炎症およびグリア瘢痕は著明に減少し,マウスの神経機能障害も著しく回復した.これらの知見は,多発する中枢神経変性の再生に大きな希望を抱かせる.MS は欧米においては20-30歳代の若年成人を侵す神経疾患のなかで最も多い疾患(人口10万人あたり30-90)とされ,患者数は全世界で約100万人にのぼる.

わが国における有病率は比較的稀(10万人あたり3-5人)とされているが,大きな障害に至る例も少なからず認められ,厚生労働省の特定疾患に指定されている.再生医療を含めたこれらの中枢炎症コントロールの基礎戦略が新たな治療法確立へと展開されることが期待される.

 

広島大・院・医歯薬総合研・薬効解析 秀 和泉
e-mail: ihide@hiroshima-u.ac.jp

キーワード:多発性硬化症,炎症,神経前駆細胞 

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