本原稿は、日本薬理学雑誌に掲載された記事を転載したものです。
動物実験が制限されると・・・ |
札幌市円山動物園がサル山の過密解消に,一部のニホンザルを京大霊長類研究所に譲渡しようとし,動物愛護団体の反対にあって延期したというニュースが北海道新聞に何度か掲載された.7月5日の同紙に,岡崎生理研の伊佐正教授が,「新型肺炎(SARS)の原因ウィルスもサルの実験で初めて確定された.未知の感染症に備えるには最低限の動物実験は必要」とコメントしていた. 動物実験の是非についての議論が行われるようになって久しい.AVA-netでも「犬猫の実験払い下げ,いよいよ全廃へ!」と勢いある見出しが躍る.確かに,動物愛護の精神と動物実験の必要性の両方を理解し,その板ばさみになって苦悩する薬理学者は少なくない.筆者はこれまで,in vivo の薬理学研究(丸ごとの動物での実験)の火を絶やさないよう頑張ってきた.しかし,札幌市動物管理センター所長名による「実験用動物の研究機関への払下げ廃止について」という1枚の通達によって本年3月,それも潰えた.「必要なら実験用ビーグルを使用すれば」と言われる.購入すると,年間予費を1カ月で使い切る.貧乏研究室には夢のまた夢・・・. 薬理学者は,何故薬がヒトの病気に効くかその理由を調べる.その理由を基に,もっと安全で良い薬を創ることを考える.高血圧治療薬を例にとる.アドレナリンで血管が収縮すると血圧が上がる.とにかく血管を拡張させると血圧が下がると考える.摘出血管を栄養液中に懸垂し,種々の化合物を添加して血管拡張物質を探す.私達の身体は,血圧が急に下がると種々の神経やホルモンが働いて下がった血圧を元に戻そうと,心拍数を異常に増加させる.血管拡張物質でも,高血圧治療薬として安心して使用できるかどうかは実際にヒトに投与するまでわからない.でも血管を拡張することがわかった化合物をいきなりはヒトに使用できない. まず動物実験で血圧が下がるか,心拍数が増加して危険かなどを徹底的に調べる.動物実験が余りにも制限されると,このような過程を経ることができない.いくら高価な培養細胞を使用しても血圧を測定することはできない.最近の薬理学研究の流行は,薬の培養細胞およびその情報伝達系や遺伝子に対する作用を調べることである.細胞・分子・遺伝子レベルの薬理学研究でないと研究費もあたらない.確かに,ある病気では遺伝子の何番目が異常とわかる.将来,種々の心臓病も遺伝子治療で治せるかもしれない. このような薬理学研究を絶対に否定しない.一方,細胞・分子レベルで思いついた化合物が堂々と治療薬として市販される.ある学会で,「何故,その化合物をその臓器に対する治療薬として開発したのですか?」との質問に,「別に理由はない.たまたま自分がその臓器の実験を行っていただけ」という答が返った.唖然とした.その後この薬物の急性腎不全の副作用が報告された.申請に必要な動物実験は十分に行われた筈である.しかし,あらゆる角度から万全の動物実験を実施できたかどうかはわからない. 約30年前,筆者は虚血性心疾患治療薬の虚血心筋代謝変化に対する効果を調べていた.従来虚血性心疾患治療に必須の薬理作用として,冠血管拡張・冠血流量増加作用があった.当時その申し子のようなカルシウム拮抗薬が虚血性心疾患治療薬として世界を席巻していた.筆者らのイヌを使用した動物実験(イヌでなければ,ヒト虚血性心疾患類似の局所心筋虚血ができない)では,アドレナリンβ受容体遮断薬は虚血に対して著効を示すのに,ある種のカルシウム拮抗薬ではどうしても有効性を検出できなかった. 1995年,Psaty ら(JAMA 274:620-625)は,心筋梗塞予後に対する降圧療法の臨床試験を発表した.同じように血圧を低下させても,β遮断薬は梗塞予後を改善するが,カルシウム拮抗薬は予後を悪化する.筆者らの動物実験結果と一致する.20年を要したが,動物実験は単なる研究のための実験ではなく,臨床のための研究であることが実証された.昨年10月号の本欄(2002;120:261)に,ある種のスタチンは,コレステロール低下作用は強力であるが,それに見合う心疾患予防効果が期待できないと書いた. これもイヌを用いた動物実験に基づく.今では動物実験は臨床に役立ち,適正な薬物使用に患者を導くことができるという信念で筆者は行動している.現在,当研究室でのイヌを使用した循環治療薬の適正使用に関する研究はストップしている.実験用動物の払い下げ全廃を「勝ち取った」と勝ち負けとして報道されるが,元々研究者側には愛護団体と喧嘩しているつもりもない. このまま動物実験が制限され続けると,AVA-net が言うようにそれこそ「患者も実験動物なみ」になってしまうのにと思うか,日本にSARS
が蔓延しても研究者は何もできず外国での研究に身を任せるしかないと忸怩たる思いを抱くか,国民の健康福祉向上の足を引っ張っているのにと可哀相に思うかである.いや,それでは余りに後向きに過ぎる.動物実験の必要性を痛感している研究者が今なら,まだいる.もう少しすると,シャーレの中の培養細胞しか見たことのない研究者だけになる.行政は声の大きい方に耳を傾ける,というより研究者は無言であった.行政が実験内容を審査し,代替できない,臨床に役立つ研究には実験用動物の譲渡を認めるよう学会として要請するくらいは必要かもしれない. |
北海道薬科大学 薬理学研究室 市原 和夫 |
キーワード:動物実験,代替実験,国民健康福祉 |