最近の話題 122-6-557
本原稿は、日本薬理学雑誌に掲載された記事を転載したものです。
Open Access Publishing による変革 |
今日,大学や研究機関によるオンライン・ジャーナル購読が普及した結果,ほとんどすべての科学雑誌は,オンラインでアクセス可能となっているといっても過言ではない.本誌もその例外ではなく,種々の興味深い記事が日本薬理学会のウェブサイトにリンクしてあり,会員はいつでも読めるようになっている.一昔前までは,ジャーナルが郵便で届く毎に,いち早く目次を繰って,仮想的競争相手に自分がまだ打ち負かされていない,という安堵感を感じたという経験を持つ人が,多くいたと思われる.図書館で1カ月遅れのジャーナルを延々とコピーしたりもした. ところが,インターネットやe-mail の普及, 主要ジャーナルによる記事の電子化が契機となり, ほぼ10 年間で, 状況は一変した. 今では, 雑誌の現物がエアメールで届く前に,主要論文はすでにオンラインジャーナルのサイトからダウンロードして読破済み,というケースも稀ではない.今年に入り,このような傾向が究極的に進化した“open access ”という思想が浸透し始め,大きな話題を呼んでいる. これまでにOpen Access を宣言しているジャーナルはまだ数誌(Bio Med Central, Public Library of Science (PLoS),Journal of Biological Chemistry(JBC)など)に限られているが,Nature, Science 等の商業誌にとってこの傾向は脅威と映るのか,最近多くの特集記事を組んでいる(1,2) 科学雑誌におけるopen access とは,簡単にいうと,出版日(あるいはアクセプト日)以降はすべての記事を(購読者・非購読者を区別せず)万人に公開するべきだという主張であり,一般の著書に準じた商権・著作権からの制約を,科学雑誌においては撤廃しようとするものである.これまで,ほとんどのジャーナルでは,オンラインアクセスを印刷された雑誌の購読者に対する付録・サービスとして運営してきており, 非購読者には,PubMed に登録された抄録以外の内容を閲覧する権利はなかった.そのため,雑誌記事を読むためには,誰か(本人,同僚,大学・研究機関の図書室等)が購読者としてのコストを負担しなくてはならず,また記事のコピーもコピー代という対価を支払ってなされていた. ところが,Open Access が実現すれば, 何人もインターネットにアクセスする端末の前に座ることさえできれば,自由に無制限に雑誌を読んで, 記事のPDF ファイルをダウンロードすることができる.さらにカラープリンターのインク・紙代さえ確保できれば,カラフルな論文も自在に再現できる.すなわち,一旦アップロードされた情報は,瞬時に世界中どこでも,全く同一条件でアクセス可能となるわけである.投稿者・著者の立場からこの制度を考えても,これは革命的である.例えば,論文のページ制限がなくなり,図数などが自由になり,Materials and Methods も納得がいくまで細かに記載できるというメリット,さらに瞬時にPub-Med にリンクされることにより科学者全員に直ちに論文内容が正確に伝わる伝達手段となるという点など,研究分野のde facto standard となるべき論文の投稿先として非常に魅力的な要素を含んでいる. 現に,Open Access 誌のPLoS は,Cell 前編集長のVivian Siegel 氏を初代の編集長として引き抜き,3大誌と並ぶクラスのジャーナルに高めることを目指しているという.私自身,Open Access との最初の遭遇は,前評判の高かったNicolelis らのbrain-machine interface の成功リポート(3) が大方の予想したNature Article としてでなく, PLoS 記事としてpublish されたことを知ったことによる. 掲載日当日,いてもたってもいられず,論文をダウンロードしようとしたが,大混雑で,ダウンロード画面に入るのに1時間待ちをした.チケットぴあじゃあるまいし,とぶつぶつ言いながら,ダウンロードした論文は,案の定,素晴らしい内容であった.画期的な仕事であるという著者らの自覚があるからこそ,膨大な量のデータと方法論をきちんと報告したいという意欲に満ち溢れる記事であった.これとは対照的に,画期的な仕事のデータを見るのに,随分苦労した経験もある.数年前のある週末のことである. 自宅で文献サーチの最中, 小生が尊敬してやまないPhil Cohen 先生のグループによって, 使用頻度が高い市販kinase inhibitor の特異性プロフィールの検証論文がBio-chemical Journal 誌に発表されていたことに気づいた(4, 続報は5). 数十種類のリコンビナントキナーゼ蛋白を作成・精製し,各々について基質ペプチドを作製し,それぞれ数十個の市販kinase inhibitor について,網羅的にIC50 を決めていくという気の遠くなるような仕事であった.酵素学出身の神経科学者としては,そもそも,このような論文を発刊時に見落していたことは非常に恥ずかしいことであった. しかしながらさらに困ったのは,Biochemical Journal のサイトへのアクセスが,もう一つの生化学学会誌の雄であるJBC の場合と異なり, フリーでなかったことである. その結果, この論文の存在に気付いてからの24 時間ほどは, 種々のkinase inhibitor を用いた自分の過去の発表論文に果たして過ちがあったのか,不安感に悩まされ,悶々として過ごす羽目となった.24時間後,教室からBiochemical Journal のサイトへ入り,恐る恐る論文を読み解くと,すさまじいばかりのデータに圧倒されながらも,自身の使用したinhibitor 2種については,概ね特異性が実証された,というカテゴリーに分類されており,胸をなでおろした.Open Access が実現すれば,このような心配は無用となる. では,いいこと尽くしかというと,そうでもあるまい. まずOpen Access の維持コストの問題がある.もはや個人の購読料を当てにできなくなるので,著者による論文掲載料ならびにプリントが必要な機関購読者による購読料によってすべての経費を賄う必要が出てくる. 結果として, 論文がアクセプトされた瞬間,別刷・印刷代に代わるかなりの額の請求を毎回受ける覚悟が要る.さらに,あらゆるジャンル・水準の論文がデータベース上では,全く同等に扱われ,自由にアクセスできるとなると,限られた時間内でどの論文を読むのか,そのための情報収集能力・判断能力の養成が大きな問題となってくる. しかしながら,Open Access の発想でもっとも大事な点は,実験者による実験データ発表が雑誌経営上の制約から完全に解放される点ではないかと思う.これまでは,十分に実験を行っていて,データの質が高くても,出版媒体としての観点から,種々の制約(ページ数・図数の限定, カラー使用による高コスト等)が研究者に課せられていた. その結果残念な傾向として,いかに少ないデータ量で,高いインパクトを与えられるか,という点にどうしても出版バイアスがかかっていたと思われる.これからの研究者は, このような点を心配せずに,むしろ,question がいかに重要か,その解明のためにいかにきちんと十分量の実験をしたか,データをすべて解析しきっているか,すべてのデータを無駄なく丁寧にディスプレーできているか,ということに大きく比重を移すことが可能となるのではないかと考える. その結果,いわゆる4-figure format,7-figure format,1500 words,55000 characters などといった枠の中での説得力よりも,トータルとして完成度の高い仕事・論文が要求されるのであれば,研究者冥利ではないか.他人が何をしているかでなく,自らが何を行い,何を発見したのか,ということを中心に確実に自分の仕事が評価される基盤ができれば,実験が好きでたまらない人間にとっては, 将来が大いに楽しみである. |
東京大学大学院 医学系研究科 神経生化学教室 尾藤 晴彦 |
キーワード:open access,kinase inhibitor,brainmachine interface |