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江橋節郎賞

第10回江橋節郎賞を受賞して

池谷 裕二
東京大学大学院薬学系研究科薬品作用学教室

この度,節目となる第10回江橋節郎賞の栄誉を賜り,大変光栄に存じます.本賞にふさわしい諸先輩方が多くおられる中で,私が受賞してよいものかと未だに困惑する気持ちもございますが,これもまた今後の躍進を期待しての激励だと解釈し,さらに研究に邁進してゆきたいとの決意を新たにしております.

江橋節郎先生がなされた偉大な研究と,私の研究テーマの共通点を,僭越ながら敢えて探しますと「カルシウムイオン」がキーワードとして浮かびます.とはいえ,その扱いはすっかり異なります.私はカルシウムイオンを細胞内シグナルの枠組みで捉えることは少なく,むしろ「細胞がカルシウムイオンを利用している」ことを利用して,その細胞がコードする情報を解読することに主眼を置いています.具体的には,神経細胞の活動電位(発火)に伴って細胞内カルシウムイオン濃度が上昇することを利用して,これを光学画像法で捉えることによって,同時に沢山の神経細胞から発火を計測するというものです.この計測方法を開発改良してきた私は,2006年に同手法を「多ニューロンカルシウム画像法」と名付けました.2006年は奇しくも江橋先生が亡くなられた年でもあります.

私は,学生時代より一貫して脳回路の機能について研究してきました.ただし詳細な研究対象については,正直に申し上げて,とても「一貫している」とは言えず,そのときの興味にまかせて,一点一点掘り下げては,また次の興味に移るというやり方で比較的自由に研究を展開してきました.結果として,今から振り返れば,私の研究対象は可塑性の生理機能から病態機構まで幅広い分野をカバーしている(してしまった?)ように思います.その中でも,とくに今回の受賞の対象となった私の研究について,以下に簡単に紹介いたします.

私が研究対象としてきた疾患は主として,てんかん,うつ病,脳虚血です.当然ながら,こうした疾患に関与する海馬や大脳皮質が,私の主要な研究対象です.とくに海馬は,比較的発達が遅く,齧歯目では亜領域である歯状回はほぼ未形成のまま生まれてきます.このため脳回路発達を観察できる優れたモデル系となります.歯状回の神経細胞がどのように軸索を伸ばし,どのように標的を適切に選定するかを経時観察できる実験系を立ち上げ,cAMPやカルシウムイオン,Sema3F,BDNF,GABAなど,神経回路形成の分子細胞メカニズムを同定しました.とくに,BDNFとGABAの異常シグナルは,歯状回において軸索の異所性回路を引き起こし,成長後のてんかんの危険因子となることを見出しました.この異常プロセスは利尿薬ブメタニドによって阻害されることも突き止めました.この発見は欧米でも高く評価され,すでに臨床での確認試験も開始されており,ドラッグリポジショニングの好例として紹介されました.

先で述べた「多ニューロンカルシウム画像法」については,とくに光学系と撮影条件を工夫することで,高速かつ大規模化し,同時に多数の神経細胞から発火活動をライブモニタすることに成功しました.撮影コマ速度2,000枚/秒,同時記録細胞数10,669個は,現在でも世界記録です.こうした大規模記録法には,単に独自の実験技能を有するだけでなく,網羅的な数理解析が要求されます.目的に応じてユニークな統計手法を編み出すことで,幾つかの発見をしました.ここでは次の五つを挙げます.i)神経回路活動は定型的な時空パターン(繰り返し配列,中間安定性,ブーリアン演算など)を含有していることを見出し,論理的に予言されていたセルアセンブリーや同期発火鎖の存在を実験的に証明しました.ii)神経回路のシナプス結合パターンを同定するマッピング法を確立し,同期機能が回路構造パターンと密接な関係を持つことを見出しました.iii)記憶に関与する神経細胞をin vitroで光学同定することにより,興奮抑制バランスの瞬時的な崩壊が記憶再生を引き起こすことを見出しました,iv)軸索からの直接記録に成功し,活動電位が伝導中に波形変位を示すことを見出しました,v)多数の樹状突起スパインの活動を同時記録し,神経回路網がμmレベルの機能精度で編まれていることを見出しました.また,同じカルシウム画像法の光学システムを別の実験系に応用し,神経回路の発達過程のみに生じるユニークなカルシウム波や,虚血時に生じるグリア細胞のカルシウム振動などを世界に先駆けて発見することもできました.

最後になりましたが,私のこれまでの研究は,本賞にご推挙くださいました飯野正光先生をはじめとした多くの共同研究者,ならびに研究室の前教授の松木則夫名誉教授およびメンバーによって支えられてきました.この場を借りて御礼を申し上げますとともに,今後も日本の薬理学研究の発展に貢献できるよう精進して参ることを誓いたいと思います.

(Yuji Ikegaya)

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