お知らせ
トップ >日本薬理学会の賞 > 江橋節郎賞 > 第11回江橋節郎賞を受賞して

江橋節郎賞

第11回江橋節郎賞を受賞して:難病治療薬創成への挑戦

萩原 正敏
京都大学大学院医学研究科形態形成機構学教室

この度,第11回江橋節郎賞の栄誉を賜り,また第18回国際薬理・臨床薬理学会においてその受賞講演をさせて頂き,大変光栄に存じます.江橋節郎先生には,1986年にカナダで開催された“Smooth Muscle Contraction Symposium”で初めてお目にかかり,ご指導を賜りました.その頃,私は日高研の大学院生として,ミオシン軽鎖リン酸化酵素MLCKの阻害薬研究に従事していまして,MLCK阻害薬でミオシン軽鎖のリン酸化を阻害することにより,血管平滑筋の収縮を抑制できるとの趣旨の講演を行ったと記憶しています.江橋先生は,自説と異なる学説を唱える若輩の私に,学究の徒として公正かつ真摯な態度で接して下さり,講演後に温かい励ましの言葉さえかけて頂いたことは,生涯忘れ得ぬ思い出です.

日高研では,幸運にも,学部生の時に脳循環改善薬カラン(Vinpocetin),院生時代にくも膜下出血術後の脳血管攣縮抑制薬エリル(Fasudil)の開発に関わることができ,創薬の醍醐味を教えて頂きました.それゆえ,日高研で学位取得後は,遺伝病など難病の特効薬(MagicBullets)を自ら創成することを志しました.遺伝病を治すには,遺伝子発現制御機構を解明する必要があると思い,米国サンディエゴのソーク研究所のMarc Montminy研のポスドクとなり,転写調節因子CREBの研究に従事しました.名古屋大学医学部解剖学第3講座で職を得て帰国後は,転写調節機構の研究からRNAプロセシング制御機構の研究にシフトし,数年後,東京医科歯科大学の難治疾患研究所に異動して研究室を立ち上げ,RNAスプライシングを標的に本格的に遺伝病治療薬の探索に取り組みました.

遺伝病は染色体や遺伝子の異常に起因し,これらのDNA異常を薬剤で正常化することは現在のところ不可能ですが,DNAから転写されるmRNAのスプライシングに影響を与える化合物で遺伝病を治せる可能性があると思ったわけです.まず,選択的スプライシングを色の異なる蛍光タンパク質を使って,モデル生物である線虫の生体内で可視化できる独自のレポーター技術を開発し,哺乳類細胞でも利用できるように改良しました.この画期的なレポーター技術を創薬研究に応用して,東欧系のユダヤ人に多い遺伝病で,スプライシング異常に起因する,家族性自律神経失調症の治療薬候補物質RECTASを見出すことに成功しました.この化合物は家族性自律神経失調症以外にも,ファブリー病などのライソゾーム病にも有効であることが判明し,大手製薬企業との共同研究による実用化研究が始まっています.また私どもは,RNA結合タンパク質のリン酸化を阻害する化合物TG003を添加することで,スプライシングパターンを変化させることが出来ることを見出していますが,筋肉が衰える遺伝性の難病であるデュシェンネ型筋ジストロフィー患者の筋芽細胞にTG003を投与することによって,筋肉の維持に必要なジストロフィンタンパク質の発現を回復させることができました.

低分子化合物による遺伝病の治療は,当初は夢物語のように思われたのか,製薬会社からは全く相手にされませんでしたが,RNAスプライシングを標的とした核酸医薬ヌシネルセンが脊髄性筋委縮症の治療薬として上市されたことにより,我々の化合物も急に内外の製薬会社から注目されるようになりました.核酸が特定の臓器に集積してしまう,細胞内移行や安定性に問題がある,現状では合成コストが高価であることなど,核酸医薬には克服しなければならない課題も多く残っていますので,低分子化合物でRNAスプライシングを制御出来れば,核酸医薬より優れた治療薬となると想定されています.私どもの見出した化合物は,嚢胞性線維症やQT延長症候群,ポンぺ病などの糖原病に対しても効果が期待され,既に一部では有効性が確認されつつあり,AMEDの支援などにより臨床試験の準備を進めています.胎児期に21番染色体がトリソミーを起こすことで種々の症状を呈するダウン症は,妊産婦の羊水を用いた出生前診断が可能ですが,神経発生異常に起因するIQ低下に対しては治療法がありません.私どもは神経幹細胞の増殖を促す化合物がダウン症マウスの神経発生異常を是正できることを見出し,その化合物をアルジャーノン(Algernon)と名付けました.この化合物を,ダウン症マウスを妊娠している母親マウスに経口投与すると,生まれてくる仔マウスの脳構造は正常化し,バーンズ迷路などの行動テストでも正常なマウスと同等の記憶能力を有することが確認されました.アルジャーノンはダウン症だけでなく,脳梗塞,脊髄損傷,アルツハイマー病,パーキンソン病など,多くの疾患に適応可能と予想され,米国のベンチャー企業などとの実用化研究が進行中です.先天性疾患以外では,へルぺスウイルスやパピローマウイルス等のDNAウイルスやレトロウイルスの,ウイルスRNAの転写が宿主細胞のCDK9活性に依存していることに気づき,CDK9の特異的阻害薬FIT039が抗ウイルス作用を有することを見出しました.FIT039貼付薬のウイルス性疣贅に対する第Ⅰ/Ⅱ相臨床試験が本学附属病院等において進行中で,パピローマに起因する子宮頸がんの前がん病変CINを対象としたFIT039膣錠の臨床試験も,今年度内にスタートする予定です.FIT039はB型肝炎ウイルスに対しても著名な増殖抑制効果を示すので,B型肝炎治療薬としても開発研究を進めています.

創薬を志して35年間,いろいろな紆余曲折はありましたが,共同研究者に恵まれ,江橋先生を始めとする多くの方々のご支援や激励のお蔭で,難病治療薬創成への挑戦を,挫けずに続けてくることが出来ました.この場を借りまして御礼を申し上げるとともに,一つでも多くの難病治療薬を,一人でも多くの患者様に,一日でも早く届けるべく精進を続けることを皆様にお約束して,筆をおきます.

(MasatoshiHagiwara)

このページの先頭へ