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学会員の著書紹介

分子神経薬理学臨床神経科学の基礎

分子神経薬理学臨床神経科学の基礎ネスラー,ハイマン,マレンカ著
樋口宗史,前山一隆監訳
西村書店

2004.3.8.発行
B5481頁
ISBN4-89013-325-9
8,925円


書評

2001年に,Eric J. Nestler らにより「Molecular Neuropharmacology」が出版された.Nestler 博士は,この本が出版されるまでは,Yale 大学医学部精神科の教授であった.研究は,薬物依存の分子機構の解明を進めており,多くの業績がある.出版と同時に原著を買い求めた.最新の知見がこと細かく描かれているし,特に受容体とイオンチャネルおよび精神神経疾患の分子機構の記述は,ユニークである.私の知る限り一番まとまった神経薬理学の教科書である.
今回,樋口宗史および前山一隆両教授を中心に,15名の専門家が参加して翻訳本が出版された.原著はA4サイズであり,訳本はB5サイズになっているが,本の厚さは変わらない.従って,図や表が縮小されているが見にくくはない.日本語訳も適切であり,読みやすい.しかし,内容はかなり詳細に記載されているので,ある程度基礎知識がないと理解しにくい箇所もある.各章には,1~4個の「ボックス」という挿入枠が設けられており,その章に関連した話題や逸話が解説されており,読者に一息与えるように配慮されている.
Nestler 博士は精神科医であるので,臨床家の読者を念頭において書かれており,分子機作からみた精神疾患の記載が目につく.本書の副タイトルに「臨床神経科学の基礎」とある所以である.従って,この本を読むと,基礎医学と精神神経疾患の間にあるブラックボックスを,分子細胞生物学の視点で埋めようとする努力がくみ取れる.
本書は,図と表が豊富に取り入れられており,一目で内容のアウトラインがつかめるように工夫されている.特に,神経伝達物質の受容体やイオンチャネルおよびこれらのリガンドが,最大もらさずまとめられているので,何かを調べたいときのデータブックとしても大変役に立つ.
また,治療薬については,すでに発売中のものから,将来開発の可能性のあるものまで,詳しく記載されている.神経薬理学での中心は,躁うつ病および統合失調症の治療薬,抗不安薬,抗てんかん薬,薬物依存性薬物などである.これらに関しては,十分なスペースがさかれている.特に,第6章の「核へのシグナル伝達系」や第16章の「強化と嗜癖性障害」は,Nestler博士の専門領域であり,力が入っている.
第15章にある「気分障害の薬理学」の項目を例に取ると,まず,躁うつ病の分類,症状,脳内の関連部位や回路,動物モデル,ノルアドレナリンとセロトニンの関与が簡潔に記載されている.次に5つの小項目に分けられている.「気分障害の遺伝学」では有病率と遺伝子,気分障害を起こす遺伝疾患が挙げられている.「うつ病に関連した内分泌異常」では,視床下部-下垂体-副腎皮質系の活性化について書かれている.「不安障害とうつ病」ではパニック障害とうつ病との共通性について書かれている.「抗うつ薬」では,薬物の分類,抗うつ薬のノルアドレナリンとセロトニン神経系への作用,新しいタイプの抗うつ薬の開発について概説され,さらに7つのサブ項目(モノアミン神経系と抗うつ作用,モノアミン神経系の長期適応,研究の障害,ノルアドレナリン神経系の調節,セロトニン神経系の調節,細胞内メッセンジャー経路の調節,うつ病と抗うつ薬治療の神経栄養仮説)に分けて詳しく説明されている.この部分の記載は非常に読む価値がある.「リチウムと他の気分安定薬」では,急性躁病および躁うつ病の予防薬としての作用機作が概説され,さらに3つのサブ項目(イノシトール欠損仮説,Wnt 経路とグリコーゲンシンターゼキナーゼ3βの調節,他の抗躁病薬の作用)に分けて,最新の知見を取り入れて解説している.
上記の小項目やサブ項目は,番号を付けず,アンダーライン付き青太字や青文字として区切られているので,全体の構成や流れを掴みにくい.また,索引については,訳本の索引はかなり簡略化され,原著と異なり,一段下げた索引方式を採っていない.そのために,一段下げた索引項目がすべて削除されているのは残念である.
過去の神経薬理学の教科書としては,1970年に出版されたJ. R. Cooper らの「The Biochemical Basisof Neuropharmacology」が有名であり,勉強会などでよく使用された.現在第8版まで改訂されている.この本は,シナプスにおける神経伝達物質およびその受容体に作用する多くの薬物が列挙され解説されている.その図表は学生の講義のプリントなどによく利用されてきた.しかし,最近の神経分子細胞生物学の発達により,その内容の古さが目につくようになってきた.新しい神経薬理学の教科書の出版が待たれていた.20世紀末に,神経分子細胞生物学の大きな発展があり,その知識の集積が一段落したと思われるこの時点で執筆された本書は,まさに時機を得ており,新時代の神経薬理学教科書といえる.
神経薬理学の研究者およびこれからこの分野を勉強しようとする学生にとって避けて通れない教科書の一つである.

三木直正(大阪大・院・医学系研究科・情報薬理学)

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