日本薬理学会について

新名誉会員のご紹介

平成28年度通常総会において,本会名誉会員に次の12名の方が承認されました.

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石井邦雄
石井邦雄先生は,1975年東京大学薬学部をご卒業後,同大学院薬学系研究科博士課程を修了され,慶応義塾大学助手,静岡県立大学講師,助教授を経て,’97年から’16年まで北里大学薬学部分子薬理学教室の教授として教育・研究に尽力されました.この間,米国に於いてFerid Murad教授のもとでNOの生理機能に関する研究を行い,ノーベル生理学・医学賞受賞に貢献されました.北里大学では,網膜に関する研究に従事され,多数の業績を挙げられました.日本薬理学会では,学術評議員32年,理事2期4年,委員会委員7期12年,財務委員長1期2年,第126回関東部会長,第89回年会長を歴任され,本会の発展に多大なる貢献を果たされました.
(文責:岡淳一郎)

井上和秀
井上和秀先生は,1975年九州大学大学院薬学研究科を修了後,国立衛生試験所,米国国立衛生研究所,英国ロンドン大学を経て,’05年に九州大学大学院薬学研究院・薬理学分野の教授に就任され,これまで薬理学の教育や研究,特にATP受容体の神経薬理学的研究にご尽力されました.日本薬理学会では,長年にわたる評議員,各種委員会委員を18年,理事を2期4年,’13年には第86回日本薬理学会年会を主催され,本会の運営や発展に多大な貢献を果し,第3回日本薬理学会江橋節郎賞を受賞されました.現在は,九州大学の副学長としてもご活躍中です.
(文責:柳原延章)

大熊誠太郎
大熊誠太郎先生は,1975年に京都府立医科大学を卒業後,同大学大学院医学研究科(内科系専攻)に進学し,医学博士号を取得しました.その後,アメリカ合衆国アリゾナ州立大学医学部への留学,京都府立医科大学助教授を経て,’96年から’16年まで川崎医科大学教授として,薬理学の研究・教育に尽力されました.この間,パーオキシニトライトの中枢神経作用,薬物依存発現機序などの薬理学的,神経化学的研究により,多くの業績を挙げられました.また,日本薬理学会においては,理事(2期),近畿部会長,各種委員会委員(6期)を務め,本学会の発展に多大なる貢献をされました.(文責:武田弘志)

岡村富夫
岡村富夫先生は,1975年に大阪市立大学医学部をご卒業後,同博士課程に進学し’79年に修了されました.’79年から米国バンダ−ビルト大学医学部生化学講座の稲上正教授のもとに留学されました.’82年に帰国され,滋賀医科大学薬理学教室の助手・助教授を経て,’99年から’16年まで滋賀医科大学薬理学教室教授に就任され,薬理学の教育・研究に尽力されました.その間,血管の緊張調節における内因性一酸化窒素の役割と調節機序の多様性を明らかにして,多大な業績を残されています.日本薬理学会においては,理事1期,委員会委員10期,第116回近畿部会主催など,本学会の発展に多大なる貢献をされました.(文責:玉置俊晃)

小口勝司
小口勝司先生は1975年昭和大学医学部をご卒業後,同大学院医学研究科博士課程に進学,同大学医学部助手,講師,助教授を経て,’88年から’16年まで昭和大学医学部薬理学講座の教授として薬理学の教育・研究に尽力されました.’01年から現在まで学校法人昭和大学理事長も務められ,3学部4教室からなる「薬理科学研究センター」設立などの多大な業績を残されています.’15年には,藍綬褒章を受章されています.日本薬理学会では理事1期2年,委員会委員14期28年,学術評議員を33年にわたって務められ,薬理学会の発展に多大なる貢献を果たされてきました.
(文責:山元俊憲,岩井信市)

越川憲明
越川憲明先生は,日本大学歯学部を卒業後,同大大学院歯学研究科に進学し,歯学博士号を取得しました.その後,同大歯学部の助手,講師,助教授を経て,’99年から’16年まで同大歯学部の教授として,薬理学の研究・教育に尽力されました.この間,行動薬理学的,神経化学的,神経生理学的手法を駆使して一連の研究を行い,薬物誘発オーラルジスキネジアの発症機構の解明において,大脳基底核ドパミン神経機構の研究により,多くの業績を挙げられました.また,薬理学会においても,理事1期,各種委員会委員8期,第116回関東部会長を歴任し,本学会の発展に多大なる貢献をされました.(文責:武田弘志)

田中利男
田中利男先生は1980年に三重大学大学院医学研究科修了後,三重大学医学部薬理学教室の助手,講師,米国ベイラー医科大学細胞生物学研究室への留学を経て,’88年から’16年まで三重大学大学院医学系研究科薬理ゲノミクス教授としてオミクス薬理学の教育・研究に尽力されました.その間,三重大学メディカルゼブラフィッシュ研究センター長や日本心脈管作動物質学会理事長などを歴任され,ゼブラフィッシュ創薬やシステムズ薬理学において多大な業績を残されました.本会においては,委員会委員12期,理事1期,監事1期を務められ,’96年には第90回日本薬理学会近畿部会を主催されるなど,薬理学会の発展に多大な貢献をされました.
(文責:萩原正敏)

仲田義啓
仲田義啓先生は,1975年に広島大学医学部総合薬学科をご卒業,さらに’77年に同大学大学院薬学研究科修士課程を修了された後,広島大学医学部助手,助教授を経て’91年から’16年まで同大学大学院医歯薬保健学研究院薬効解析科学教室の教授として,薬理学の研究・教育に尽力されました.この間,疼痛制御機構における神経ペプチドのサブスタンスP の薬理学的研究に従事され,volume transmitterとしてのサブスタンスPの薬理学的な機能についての概念の展開に務められました.日本薬理学会においては理事1期2年,監事1期2年,委員会委員5期8年,第99回近畿部会長などを務められ,本学会の発展のために多大なる貢献を果たされました.
(文責:森岡徳光)

中谷晴昭
中谷晴昭先生は1974年北海道大学医学部をご卒業後,同大学薬理学教室に入局され,米国シンシナチ大学医学部留学を経て’92年に千葉大学医学部薬理学講座教授に就任されました.抗不整脈薬の電気薬理学的解析や不整脈の発生基盤となる病態生理の解析で多くの優れた業績を挙げられるとともに,薬理学教育や薬理学会の発展に多大なる貢献を果たされてきました.日本薬理学会の理事,さらに関東部会長などの要職を務められ,千葉大学医学研究院長,理事,副学長として大学運営の根幹にも携わり,多くの社会貢献活動に積極的に取り組まれておられます.
(文責:渡邉裕司)

柳澤輝行
柳澤輝行先生は1976年東北大学医学部卒業後,同大学院博士課程修了(ニコランジルのカリウムチャネル開口作用の発見),ペンシルベニア大学医学部ポストドク,東北大学医学部助手,講師,助教授を経て,’95年から’16年まで同大学医学部・大学院教授として薬理学の教育・研究に尽力されました.学生時代から一貫して循環器系治療薬の研究に従事され,多大な業績を残されています.世界的な薬理学教科書の翻訳監修や機関リポジトリなどにより薬理学の普及と啓蒙にも活躍されました.本学会では委員会委員5期,理事1期を務められ,仙台市において第59回北部会を主催され,第65回総会と第87回年会の事務局と実行委員会委員長をそれぞれ務められ,学会の発展に多大なる貢献を果たされました.(文責:谷内一彦)

米田幸雄
米田幸雄先生は1972年に大阪大学薬学部をご卒業後,同大学大学院修士課程を修了し,’75年に京都府立医科大学助手に就任されました.’80年から’81年まで米国シティオブホープ医学研究所で研鑽を積まれたのち,帰国後は京都府立医科大学講師,摂南大学薬学部助教授,同教授を経て,’99年から’15年まで,金沢大学薬学系薬物学研究室の教授として,薬理学の教育と研究の充実に尽力されました.その間,一貫して神経アミノ酸による生体機能調節機構の解明研究に従事され,その多様性究明に多大な業績を残されています.日本薬理学会では,理事を3期6年にわたって務められ,さらに第115回薬理学会近畿部会を主催されるなど,薬理学会の発展に多大なる貢献を果たされました.(文責:檜井栄一)

大村 智
大村智先生は,1958年山梨大学学芸学部をご卒業後,都立墨田工業高校定時制の教諭として働きながら,’63年東京理科大学大学院理学研究科修士課程を修了されました.直ちに山梨大学工学部に助手として採用され,その後,北里大学薬学部助教授,同教授,北里研究所所長等を歴任されましたが,現在に至るまで,微生物の生産する有用な天然物の探索研究に邁進され,多数の新規化合物を見出されました.その最大の成果はAvermectinの発見とそれに基づくIvermectinの創製であり,’15年のノーベル生理学・医学賞に輝いたことは,私たちの記憶に新しいところです.そして,’16年春の第89回日本薬理学会年会のPlenary Lectureでは,満場の会員に深い感銘を与えてくださいました.(文責:石井邦雄)

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